つぶや記

京都で大学生をやっている松岡智之です。 新聞記事に突っ込んだり、読んだ本の感想なんかを徒然なるままに執筆します。

なはの最期3

 3月14日をもって寝台特急なは(京都−熊本)は廃止となる。寝台急行銀河(東京−大阪)、寝台特急あかつき(京都−長崎、京都−鳥栖はなはと連結)も廃止され、来年の春には寝台特急はやぶさ(東京−熊本)も廃止だ。

参考サイト


 私も実家から京都に戻るのになはに乗ろうと思い、3月14日発の上りの切符を買おうとしたが、売り切れだった。駅員に聞くと、発売日の2月14日は朝から並んでいたという。昼の1時に駅に行った私は甘かった。

 かつては全国を走り回っていた夜行列車がどんどん減っていくののは寂しいものだ。確かに夜行列車のスピードは航空機や新幹線には敵わない。
 しかし、景色に見とれながらゆっくりと旅をする魅力もまた格別ではないだろうか。みんな急ぎすぎだ。それに、利便性を言うならば、夜、新幹線より遅く出発して、朝、新幹線より早く到着する夜行列車は捨てがたいと思うのだが。
 これも時代の流れだろうか。

 そういえば、海援隊の「思えば遠くへ来たもんだ」でも、夜汽車の汽笛聞くたびに故郷を思い出す様を歌われている。あの列車は故郷九州に向かっているのだなと。あれに乗れば帰れるのだなと。そして、故郷を思い出すのだ。新幹線も博多に秋田に山形にと走るが、あれでは故郷は思い出せない。航空機に至っては福岡空港に行くのかシャルル・ド・ゴール空港に行くのかさえ分からない。やはり、夜行でなくては絵にならないのだ。












 と言いつつ、私は特に理由(朝早く着きたい、夜遅く出たい、とにかく乗ってみたい)がなければ、新幹線より高い寝台車は使わないのだがな。だいたい新幹線か18きっぷ。


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書評「日本とフランス二つの民主主義」5

薬師院 仁志 (著)『日本とフランス 二つの民主主義』

 民主主義対絶対王政の時代は終わり世に民主主義が普及した現代において、民主主義の中の相違点、つまり、自由主義と平等主義のどちらを選ぶかが問題となる。この二つは対立する概念であり、近代の民主的な選挙では、このうちのどれを選ぶかが焦点となっている。しかし、日本では戦時期に民主主義も自由主義も共産主義も一緒くたに弾圧対象となったために、民主主義に対する正しい理解ができていない。だから、日本ではどの政党も民主的で自由で平等な社会を目指そうということになり、国民は事実上、選挙で選択肢が与えられていない。
 本書では、フランスの社会情勢を例にして、平等主義を紹介している。日本はアメリカ型の自由主義社会であり、自由主義の良さも悪さも知れれているが、フランスのような平等主義はあまり知られていない。自由主義と平等主義それぞれの長所短所を知ってもらい、国民が正しい情報と理解を持った上で選挙に臨むことが著者の狙いである。
 なお、ここでいう自由とは、あくまで「経済活動の自由」である。個人の思想や宗教は日本もフランスも当然自由である。これらの自由をも奪って完全な平等社会を築こうとするのがソ連・北朝鮮などの共産主義(社会主義)、経済活動の自由を制限して格差を許容範囲にとどめようとするのがフランスなどの平等主義(社会民主主義)、経済活動の自由を広く認めて自由競争によって経済を活性化させようとするのがアメリカ・日本などの自由主義だと本書では位置付けている。本書では平等主義と自由主義の対比に重点を置いている。


 本書は、政治的な意味における右と左が何を意味するのかを知るためにも役立つ。右翼、左翼。
 本来、伝統的・保守的・現状維持的な主張が右であり、革新的な主張が左である。つまり、産業革命以来の伝統である自由主義(リベラル)が右派、自由を制限して実質的な平等を実現しようというのが左派である(共産主義はこれを極端にしたもの)。右翼=国粋主義という認識は本来の区分法ではない。
 ところが、日本では、戦後長らくこの構図が当てはまらなかった。日本では戦時期に民主主義も自由主義も共産主義もともに国家主義に反するものとして弾圧対象になった。当時は民主主義・自由主義・共産主義が国家主義と対立するものと考えられていた。このため、日本では「保守的」という言葉が自由を抑圧する封建的な政治を意味するものと考えられていた。戦後の左翼人は戦前戦中の考え方を否定しているつもりでも、この考え方はしっかりと継承した。また、自民党などの保守政党は自由主義を掲げてはいたが、護送船団方式や食糧管理制度、公共事業を通じた市場原理に反する利益配分など、自由主義とは程遠い政策を続けてきた。
 この結果、自由を制限して既得権益を守ることが保守主義だと理解され、右派=保守=反動的=統制主義、左派=革新=進歩的=自由主義といういびつな等式が成り立ったと言う。(P.60〜67参照)本来は右派=保守主義=自由主義で自由競争推進、格差やむなしで、左派=統制主義、格差抑制である。
 もっとも、私はこの点については少し疑問を持つ。単に日本では政治用語の使い方が欧米諸国と異なるだけで、55年体制は中道左派の自民党と極左の社会党・共産党の対立の時代ではないかと私は思う。
 しかし、本書を読めば、「右」と「左」、「保守」「革新」などの政治用語の混乱を整理することができるだろう。
 なお、アメリカでは、共和党が自由主義、民主党が(あくまで共和党との比較の上で)平等主義である。にもかかわらず、民主党の方がリベラルと呼ばれているが、ここでいうリベラル(自由主義)とは経済ではなく宗教についての話である。共和党はプロテスタントの倫理観の影響を強く受けており、人工妊娠中絶や同性愛、進化論教育に反対しているが、民主党はそれらについて寛容であり、そういう意味でリベラル=自由なのである。経済政策から見れば、共和党の方が自由主義である。(P.71〜76)


 フランスの社会の長所短所や「右とか左って何?」といったことを知りたい人に本書をおすすめしたい。読んだところ、著者はフランスびいきのように感じられるが、フランスの社会政策やその考え方について問題点も含めて深く解説している。
 また、愛国心=右翼=反民主的=国粋主義などという短絡的な発想に陥っている人にも是非読んでもらいたい。
 また、巻末資料には減税・補助金などフランスの子育て支援サービスが17ページに渡って収録されており、それだけでも利用価値はあると思う。


以下、私が特に興味深いと感じた部分をピックアップする。

日本の左派政党の凋落「“珍主張”を続けた日本の左翼人」P.48〜
消費税は本当の金持ちに不利な税制P.51〜53
郵政選挙、保守政党らしい自民党と反対主張を出せない野党P.79,80
社会民主主義の誕生=愛国心の強調P.141〜145
徴兵制に賛成するのは左翼P.146〜148
日本的左翼勢力の自己矛盾P.148〜151
人権 神に守られるアメリカ人、国家に守られるフランス人 両憲法の比較 アメリカは人権神授説P.164〜173,76
フランス「内戦」 対した暴動ではなかった?P.178〜189
フランスの雇用 正規と期限付 非正規雇用の方が企業に不利P.216〜219
フランスの少子化対策 手厚い福祉と安い学費P.232〜242




『日本とフランス二つの民主主義―不平等か、不自由か』
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国歌斉唱の職務命令に反した教職員の再雇用拒否が違法?

読売新聞「国歌斉唱しない教職員の再雇用拒否、都に賠償命令」2008年2月7日15時33分

 この記事によれば、卒業式で教職員に国歌斉唱するよう職務命令を出したことについては合法だが、その職務命令に1回違反した程度で再雇用を拒否することは裁量権の逸脱であり違法、というわけだ。

 この判決には疑問がある。
 まず、この教職員は解雇されたのではない。雇用契約終了後の再契約ができなかったにすぎないのだ。雇い主による解雇に制限がかかるのは理解できるが、再契約についても職務命令違反をもってしても拒否できないほど規制が強いとは。この判決は、国(司法)が雇い主に問題のある従業員との雇用契約締結を強制することを意味している。労働問題の訴訟としては考えにくいことだ。表向きには職務命令を合憲としているが、裁判官のイデオロギー的偏向が伺われる。ちなみに、裁判長は中西茂である。

 そもそも、この教師は自己のイデオロギーに従って国歌斉唱を無視した。卒業式という重要な式典にてである。式典における重要な儀礼に反することは教育者としてふさわしい行為だろうか。これが許されるなら、気に入らない校長の長話に飽きて私語を続ける生徒に、どうやって教師は指導できるというのか。

 この判決が子供たちに悪い影響を与えないことを祈る。

感想「坂の上の雲」1巻

 先日購入した司馬遼太郎「坂の上の雲」の1巻を読み終えました。

 この作品は、明治時代に活躍した正岡子規、秋山好古、秋山真之を描いた歴史小説である。正岡子規は短歌俳句の世界で、好古は陸軍騎兵隊で、真之は海軍で活躍した。第1巻は、彼らの少年時代から、いよいよこれから大仕事に取り掛かる青年期に入るあたりまでを描いている。
 私が感じたことは、明治時代の希望である。まだ近代国家として産声を上げたばかりの日本では、己の実力次第で上に登り、国家を引っ張っていくことが現代よりも現実的なものとして描かれている。事実、それほど裕福ではない武家の家に生まれた秋山兄弟が日露戦争で重要な役割を果たすのだ。特に、日本海海戦のT字戦法は秋山真之無しには語れない。

 なるほど。すでに完成したとも思える現代の日本と異なり、当時の日本は欧米列強に追い付け追い越せであった。明確な目標がそこにはあった。だからこそ、その国を背負う若者を生き生きと描くことができるのであろう。


 

「ジパング」レビュー

 以前、ニコニコ動画で見たアニメ「ジパング」のレビューでも書こうと思う。

 この作品は、ハワイでの米軍との合同演習に向かう海上自衛隊イージス艦「みらい」が途中ミッドウェー島付近で低気圧に遭遇し、1942年にタイムスリップしたところから物語が始まる
 この作品のテーマは、自衛隊は戦場で何ができるか、ということだろうか。日本は、自衛隊は戦後現代に至るまで戦争を経験しなかった。それは幸運なことかもしれない。だからかもしれないが、戦場に放り込まれれた時の「みらい」乗組員の発想は決死の戦闘を繰り広げる日米両軍のそれとはズレまくっていた。敵と見なして攻撃を仕掛ける米軍に対して「専守防衛」である。そして、目先の人命を助けることのみに懸命で何のビジョンも描けていない彼らが、早期講和を果たし理想の国家「ジパング」の建設を目指す元帝国海軍の協力者草加を「裏切り者」と呼ぶ。
 そんな彼らも、米軍機の攻撃を受けて艦を損傷し5名の死者を出すことで、少しだけ自分の甘さと置かれた境遇を悟り、そこでアニメは終了する。


 しかし、海上自衛隊監修というからには、イージス艦の作戦行動シーンの描写はある程度の正確性を備えているだろう。実際にイージス艦はどう戦うのか、そのイメージを掴む上において、この作品は見る価値があると思う。

ジパング

 昨日からニコニコ動画でアニメ「ジパング」を見ております。
 海上自衛隊のイージス艦がハワイで米艦隊と演習を行うために太平洋を航行中、ミッドウェー沖で低気圧に遭遇、そして低気圧を抜けたときには昭和17年ミッドウェー海戦海域にいた、というわけだ。戦国自衛隊の海自版と思っていい。
 ちなみに、18話では石原莞爾が立命館大学で講演している場面があります。彼の世界最終戦争論、見事な予言であろう。おそらく、彼が本作品の鍵となる人物と思われる。


 実は、私は以前から石原莞爾という人物に興味を持っていた。満州事変の黒幕でありながら日中戦争の宣戦不拡大や対米戦反対を主張し、他の陸軍主戦派とは異なる。そして、当時の人間には見られない観察眼といおうか、彼は核兵器の登場とその後の米ソ冷戦を予言している。
 また、満州事変を謀略しながら対米戦には「油のために戦争するやつがあるか」などの発言もあり、彼は戦争に対し信念を持っている。

 私もまだ彼のことはあまり知らないが、研究する価値のある人物だと思う。

三池炭鉱の映画を見て、道頓堀見物4

2月2日

 久しぶりの自動車教習所の予定だったが、前日の夜更かしのせいか、寝坊。
 出席を諦め、適当にネットしていると、前から気になっていた映画『三池 終わらない炭鉱の物語』の上映が神戸であると知って、新快速で行ってきました。

三池 終わらない炭鉱(ヤマ)の物語

 まず、熊谷監督の講演。
 熊谷監督は東京出身で大牟田とは関係なかったが、閉山後の街づくりのシンポジウムに訪れ、炭鉱の歴史遺産の重要性に気付く。しかし、大牟田市民は炭鉱の遺産を残すことに否定的だった。それは、「負の遺産」があまりにも大きすぎるからだという。
 「負の遺産」。映画にも描かれていたが、囚人労働、外地からの移住民の過酷な労働、三池争議、炭塵爆発事故。
 特に、三池争議が最もつらかっただろう。なにせ、敵はかつての仲間なのだ。合理化と人員整理を進める会社と、闘争のための闘争に明け暮れる労組。三池争議のきっかけは、会社側の指名解雇だった。それに対して労組側は無期限ストに突入。当時の日本は高度成長真っ盛りで仕事は他にも沢山あり、会社の指名解雇に従って退職すれば割り増し退職金ももらえるなど、そう悪い条件でもなかった。しかし、三池炭鉱労組は、「退職する組合員の氏名を総評(全国の労組のトップ)に通告してどこにも行けないようにしてやる」と脅すなど、もはや誰のための闘争だか分からない。
 また、この三池争議には社会主義者の向坂逸郎の指導があったが、「机上の空論しか知らない向坂のモルモットにされた」と嘆く女性の証言もあった。
 このように、労組側の問題点にも突っ込んだ作品は私が見る中では初めてであり、「よそ者だからこそ」の視点でいい作品ができたと思う。


 映画の後は、ふらっと道頓堀に。
 さすがB級グルメの町。今まで生きてきた中で最高のたこ焼きとお好み焼きを味わうことができた。しかも、全部で1000円ちょっと。それに、ちゃんとカニもいたし、阪神ファンが飛び込む橋も見た。あと、観覧車があるメリーゴーランドも。

道頓堀2008,2,2たこ焼き2008,2,2

明日から自動車学校4

 今日は大学の図書館に行ってきました。春休みに読む本を借りるために。
 借りた本は、司馬遼太郎『坂の上の雲1』、ジョージ・オーウェル『パリ・ロンドン放浪記』『右であれ左であれ、我が祖国』、薬師院仁志『日本とフランス二つの民主主義』、あと経済学関係の入門書と、盛田則夫『世界のとんでも法律集』。

 全部読みきれるわけないだろうが、気になったので8冊も借りてしまった。
 特に読みたいのは、『坂の上の雲』と『右であれ左であれ、我が祖国』。
 『坂の上の雲』は日本海海戦において作戦参謀を務めた秋山真之他その兄好古、正岡子規の青春を描いた小説である。漫画『日露戦争物語』もこれを元にしており、この漫画を読んだきっかけでこの小説も読もうと思った。
 『右であれ左であれ、我が祖国』は、イギリス人評論家ジョージ・オーウェルが祖国イギリスについて書いたものだ。どんな内容かはまだ読んでいないので分からないが、近々書評でも書こうと思う。
 ちなみに、僕がジョージ・オーウェルに興味を持ったきっかけは、産経新聞2007年9月27日朝刊の、確か自衛隊の海外派遣についての記事だったと思う。この記事に、「平和主義者。彼らが暴力を放棄できるのは、他の人間が彼らに代わって暴力を行使してくれるからだ」という引用があり、僕は、なかなか的を得た言葉だと思って原典を読み、それ以来彼のファンの一人となった。ちなみに、「オーウェル評論集」に収録されてる『ナショナリズムについて』に先程の言葉がある。これについても、近々書評を書きたい。
 あと、『日本とフランス二つの民主主義』には、フランスでは左翼が徴兵制維持を主張していると書いていると以前どこかで読んだ。日本とは逆である。国のために死ぬ義務は貧富を問わず平等に負うべし、ということらしい。そういう話を聞いて、この本を読もうと思った。あと、ドイツでも、軍部は徴兵制廃止を主張しているが、良心的兵役拒否者のボランティアがいなくなって福祉関係者を安く雇えなくなると困るから兵役を廃止出来ないそうだ。


 さて、明日から自動車学校である。12月から通っていたけど、1月は試験のために全部休んだ。だぶん、感覚忘れているだろうな。
 仮に順調に教習と試験をクリアしたら、2月14日に仮免許がもらえます。これで公道を走れます。


 ところで、mixiとブログとの役割分担をどうしようか。とりあえず、政治社会関係の話はブログで、赤の他人にはどうでもいいような事はmixiで、というようにしようか。

毒餃子問題 今後の展開を予測する

 中国産の冷凍ギョーザから毒物が検出され約400人(現時点)が健康被害を受けている。この事件について、今後の展開を予測したい。

 以前、段ボール肉まんの問題では、捏造報道ということで処理された。テレビ局の人間がでっちあげたというわけだ。「変な味がする」という証言をどう位置付けるのかがはっきりとしないまま、関係者2人を逮捕して事件は終わった。
 中国は日本や欧米のような近代司法にはなっていない。政府(中国共産党)に都合の悪い人間を適当に何か罪状を付けて逮捕・死刑というのも日常茶飯事だ。冤罪を主張する弁護士が「交通事故で死亡」することもよくあると聞く。

 このような国だから、段ボール肉まんを記者の捏造と処理することも、そう難しいことではないだろう。

 今回の毒餃子事件でも、同じように処理されることが予測される。おそらく、政府は故意による毒物混入事件ということで工場関係者を逮捕するだろう。
 もっとも、この事件の原因となったメタミドホスは熱によって分解されるので、原料の野菜に使用された農薬が原因とは考えにくい。つまり、工場で混入された可能性が高くなる。
 問題となった工場は賃金をめぐる労使対立が激しかったので、経営者に恨みを持つ従業員が毒物を入れた可能性は否定できない。しかし、政府はそれが事実だと知らなくても、そのように処理するだろう。その方が中国のイメージダウンが小さいからだ。中国の産業構造に原因があったら、他の中国製品も同様に危険視される。それに比べて、特殊な犯罪と位置づけることができれば、この事件は例外ということになり、他の製品は大丈夫ということになる。

 中国には故意犯として処理するメリットは大きく、それを実行するための環境も十分にある。これだけは断定できないが、しかし、私は数日中に従業員が殺人未遂で逮捕されるだろうと予測する。

時効成立認めず

殺害行為への賠償責任認める…東京・足立の時効殺人訴訟
 1978年に東京都足立区立小の女性教諭・石川千佳子さん(当時29歳)を殺害して自宅の床下に埋め、殺人罪の時効成立後の2004年に自首した元警備員の男(71)に対し、遺族が損害賠償を求めていた訴訟の控訴審判決が31日、東京高裁であった。

 青柳馨裁判長は「民法上の時効を適用するのは著しく正義・公平の理念に反する」と述べ、殺害行為に対する賠償責任を認めた。その上で、男が遺体を隠し続けた行為に限って330万円の賠償を命じた1審・東京地裁判決を変更し、約4255万円の支払いを命じた。

(2008年1月31日16時00分 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080131-OYT1T00456.htm?from=main4



 この事件は、20年以上前の殺人事件の加害者に被害者が損害賠償を求めたが、加害者側は時効を主張し、時効成立を認めるかどうかが争点となった。
 第一審では、20年以上前の殺人による賠償は認めず、提訴の20年前から自首するまでの期間遺体を隠していたことについてのみ損害賠償を認めた。遺体はつい最近まで隠していたので時効にはならないから、遺体を隠して遺族に苦痛を与えたことの損害賠償は認めたが、殺したことへの損害賠償は認めなかったのである。だから、賠償金も330万円と安い。
 しかし、第二審では、殺人についても損害賠償を認めたのである。


第724条
不法行為による損害賠償の請求権は、被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知った時から三年間行使しないときは、時効によって消滅する。不法行為の時から二十年を経過したときも、同様とする。



 たとえば、家族を殺されたなどの被害を受けたとき、その人が殺されたこと、つまり「損害」を知り、かつ、加害者が誰かを知った(これで裁判ができる)時から3年以内に裁判を起こしたり、加害者がと賠償額について話し合うなどしないと時効が成立する。つまり、3年も放っておいたらもう裁判所は助けませんよ、ということだ。

 さらに、殺人が発生してから、つまり、不法行為の時から20年たったら、その間誰が犯人かわからなくても、裁判所は助けませんよ、とも定められている。(これは除籍期間と呼ばれる)


 もっとも、特別な事情があれば、例外は認められる。

ウィキペディア「除籍期間」より引用

2004年(平成16年)4月27日最高裁第三小法廷判決、民集58巻4号1032頁 三井鉱山じん肺訴訟
民法724条後段所定の除斥期間は,不法行為により発生する損害の性質上,加害行為が終了してから相当の期間が経過した後に損害が発生する場合には,当該損害の全部又は一部が発生した時から進行する。

2004年(平成16年)10月15日最高裁第二小法廷判決、民集58巻7号1882頁 関西水俣病訴訟
水俣病による健康被害につき,患者が水俣湾周辺地域から転居した時点が加害行為の終了時であること,水俣病患者の中には潜伏期間のあるいわゆる遅発性水俣病が存在すること,遅発性水俣病の患者においては水俣病の原因となる魚介類の摂取を中止してから4年以内にその症状が客観的に現れることなど判示の事情の下では,上記転居から4年を経過した時が724条後段所定の除斥期間の起算点

2006年(平成18年)6月16日最高裁第二小法廷判決、民集60巻5号1997頁 北海道B型肝炎訴訟
 乳幼児期に受けた集団予防接種等によってB型肝炎ウイルスに感染しB型肝炎を発症したことによる損害につき、B型肝炎を発症した時が724条後段所定の除斥期間の起算点となるとされた事例



 このような特殊事情があれば、裁判官は法律を曲げてでも被害者を救済してきた。
 しかし、今回の事件は単なる殺人事件だ。不謹慎な発言だが、日本でもよくあることである。このような事例にまで時効(除籍期間)の例外を認めたとは驚きだ。


 最高裁までいくだろうか。だとしたら、最高裁はどう判断するだろうか。
 今後のこの事件の動向が気になる。




他の方の意見とそれに対するコメント


毒物混入餃子と時効殺人で賠償命令

 この方は、時効成立を認めない第二審判決に肯定的だ。なるほど。確かに、遺体を隠し続けて20年経てば賠償責任から解放される、というのは、確かにどうかと思う。心情的には私も同じ思いだ。
 しかし、除斥期間20年を定めた条文(724条)を見る限り、不法行為がバレずに20年経ったらもう時効ですよと正面から言っているように思える。
 それに、今回はたまたま被告が自分の不法行為を認めたからいいが、もし事実関係に争いがある場合、つまり、被告が「俺は殺していない」と主張した時、その主張が真実だったとして、訴えられた側はたまったもんじゃないだろう。去年の事なら自分の行為についていろいろ反論できるし、証拠もまだあるだろうけど、普通20年も昔の事なんてはっきりと覚えていないだろうし、証拠も消失する可能性が高い。こうなると、訴えた側が証拠を捏造しても、それに対する反論が困難になる。これを防ぐために、20年以上昔の事件は裁判所は扱いませんよ、という原則(除斥期間)があるのだ。その例外をこの事件に適用していいものだろうか。
 この事件については被告に責任をとってもらいたい、賠償金を払わせたいという思いと、こんなに安易に除斥期間の例外を認めると法的安定性が損なわれるのではないかという危惧。これは、どちらも説得力がある論理だ。
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