つぶや記

京都で大学生をやっている松岡智之です。 新聞記事に突っ込んだり、読んだ本の感想なんかを徒然なるままに執筆します。

2008年06月

韓国で一体何があってるんだ?

韓国政府が米国産牛肉の輸入を解禁しようとして数十万人規模のデモが起き、こちらの朝鮮日報の記事によれば「大統領の暗殺」や「全員武装してソウルを占領しよう」という主張まで出てきている。

ネット上に「李大統領暗殺」まで登場

韓国では何が起きているのだろうか。米国産牛肉だけの問題とは思えない。輸入解禁は単なるトリガーで、根本的な原因が他にあるのだろうか。

日本での報道では牛肉輸入の問題以外はあまり報じられていないが、本当の原因が何なのかが隣国の国民として非常に気になる。

「司法は腐り人権滅ぶ」書評

井上薫「司法は腐り人権滅ぶ」(講談社現代新書、2007年)


 かなりセンセーショナルなタイトルの本書、一体何を言いたいのかというと、主な内容は蛇足判決(ねじれ判決)と裁判員制度の批判だ。

 著者の井上薫は元裁判官で、判決文を導くのに必要の無いことを判決文に書いた「蛇足判決」は越権行為であり違法だと考えていた。その考え方を自身の職務で実践し、井上氏の判決文は短いものが多かった。それを当時所属していた横浜地裁の所長に改善するよう勧告されたが井上氏は従わず、人事評価で減点され、判事に再任されなかった。(井上薫「我、「裁判干渉」を甘受せず」「諸君!」2006年1月号)

 本書で越権の判決として批判しているのは尊属殺人重罰規定違憲判決、小泉首相靖国参拝違憲判決、愛媛玉串料訴訟最高裁判決の3つの判決である。

 尊属殺人重罰規定違憲判決とは、10年以上前から父親から性的虐待を受け妊娠までしていた女性(加害者)が父親に別の男との結婚を希望すると父親に監禁され、思い余って父親を殺害したという事件だ。余りにも気の毒な境遇の彼女を実刑に処すべきてはないと多くの裁判官は考えたが、当時、親殺し(尊属殺人)は死刑または無期懲役の重罪だった。殺害状況から過剰防衛(刑の免除が可能)は認めがたく、心神耗弱と情状酌量で減刑しても刑法上の規定により懲役3年6月が精一杯であり、執行猶予(懲役3年以下の場合のみ)を付けることができなかった。
 そこで、最高裁は尊属殺人を執行猶予が付けられないほどの重罰にするのは平等原則に反し違憲だとする判決を下した。
 井上氏はこの判決のやり方を批判している。最高裁は憲法裁判所ではないので、事件ごとにある法律を適用することが違憲だと判断することは許されても、法律そのものを違憲だと判断することは許されない、というのが理由だ。だから、尊属殺人の規定それ自体を無効だと判断するのは越権であり、この事件に適用することが違憲だと判断するべきだと主張している。


(後日追加執筆予定)

配当金を被害額から差し引かない最高裁判決は不当だ

6月25日、偽りの投資話で2200万円をだまし取った事件の損害賠償請求訴訟で、最高裁は加害者が被害者に払った配当金200万円を被害額から差し引くべきではないとする判決を下した。

被害者は2200万円を払い、配当金として200万円を受け取ったから、実質的な損害額は2000万円である。

しかし、「反倫理的行為により損害を受けた一方で利益も得た場合には、この利益を損害賠償請求における損害額から差し引くことは許されない」とする6月10日の五菱会闇金融事件最高裁判決を引用し、配当金を損害額から差し引いた二審判決を破棄した。

このような考え方は被害者保護のためにマイナスに働くだろう。
投資詐欺やマルチ商法などでは、早いうちに加入した(引っかかった)者は多くの利益を得て、事業が破綻寸前に加入した者は配当金を得られず大損することが多い。それを考慮せずに払った金額を損害額として認定すれば、被害者間に有利不利が生まれる。なぜなら、加害者は受け取った金を配当金やその他に使っており、被害金額のすべてを賠償できないことが多いからだ。払った金のすべてを賠償金として得ることができないのに、配当金の多い少ないに関わらず払った金額に比例して賠償金を得ることになれば、最初に加入して多くの配当金を得た者に有利になり、ほとんど配当金を受け取っていない者に不利になる。
例えば、100万円の投資詐欺に引っかかった人が3人いたとしよう。1人目の被害者は2人目、3人目が払ったお金から配当金を100万円受け、2人目は50万円、3人目は10万円の配当金しかもらえなかったとする。実質的な損害額は1人目0円、2人目50万円、3人目90万円となる。今回の判決に従えば、この3人が裁判を起こせば、加害者からそれぞれ100万円ずつ、合計300万円取れることになる。しかし、加害者はすでに160万円を配当として払っており、他にもいろいろお金を使っていて、加害者の手元には90万円相当の資産しかないとしよう。そうすると、被害者は賠償金300万円の判決を得ても実際には90万円しか受け取ることができず、それを3等分して一人当たり30万円を得ることができる。すでに受け取った配当金を合わせれば、1人目は30万円の利益、2人目は20万円の損失、3人目は60万円の損失となる。このような賠償金の分配は不公平だ。実質的な損害額に比例し、全く損をしていない1人目は0円、50万円損をした2人目は32万1428円、90万円損をした3人目は57万8571円の賠償金を得るとしたほうが公平だ。

今回の判決は一見すると被害者に有利なように見える。しかし、裁判で認められた賠償額を全額得ることが困難であるという現実を考えると、配当金を損害額から差し引かないとする今回の最高裁判決は被害者間に不平等な状態を生み出し、不当であると私は考える。


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アメリカ頼みでは拉致被害者は帰ってこない

北朝鮮の核計画申告を受けてアメリカはテロ支援国家指定を解除しようとしている。テロ支援国家に指定された北朝鮮はアメリカから経済制裁を受けているが、その指定が解除されれば、北朝鮮は外国や世界銀行などから経済援助・融資を受けることが容易になる。

ブッシュ大統領は拉致問題を「忘れない」と言っている。しかし、彼の記憶の片隅に拉致問題が残ったとしても、アメリカが北朝鮮経済を潤すようなことをすれば、北朝鮮は日本との国交正常化、そのための拉致被害者返還を行なうメリットが薄れる。重要な国家機密が漏れるリスクを犯して拉致被害者を返し、日本から見返りを受けなくても、アメリカなどからの援助で体制を存続できるなら、金正日はそれを選ぶだろう。

アメリカと日本は60年以上の同盟関係にある。しかし、アメリカにとって北朝鮮の核保有やイランなどへの核技術移転は大きな脅威だ。友好国の十数名の命のために自国民への脅威を放置することは簡単にはできない。しかも、その友好国は同盟関係とは言っても戦争になった時に一緒に戦ってくれるわけでもなく、自国に向けられた弾道ミサイルの撃墜すらやってくれるかどうかさえ怪しい。他にも、政治日程の都合で北朝鮮との交渉を長引かせることは都合が悪いなどの事情がある。何より、肝心の被害を受けた国の政府は細々と経済制裁をやっている程度で自国民を助けようという気概を感じられず、アメリカ任せで済ませようとしている。それでも、その友好国の国民数十人を救うために北朝鮮の核問題解決を諦めると国民に説明できるだろうか。(もっとも、今回の北朝鮮の申告が上記の懸念を払拭するものであるかどうかには大いに疑問を感じているが)

今回のアメリカの対応を見て、アメリカへの不信感を感じる日本人は多いだろう。しかし、私が憂うのはアメリカのテロ支援国家指定解除ではない。それよりも、日本政府の、日本国民の考え方の方がはるかに心配だ。

日本では拉致問題を受けて、北朝鮮への経済制裁の是非をめぐって議論が交わされた。経済制裁をやるかやらないか、どの程度にするか。しかし、「経済制裁で済ませてよいのか」という議論はほとんど聞かない。自国民が何十人も連れ去られて再三帰国を要求しても返す見込みがないとなれば、外国なら戦争になってもおかしくない。それなのに、日本では武力による奪還を唱える者はほとんどいない。

日本には憲法9条があるからだろうか、戦争という選択肢は発想の中に入っていない。武力で拉致被害者を返せと威嚇したら、「護憲派」「平和主義者」は大騒ぎだろう。

だからこそ、北朝鮮は(それに韓国・中国、ロシア、台湾も含めて)日本に対しては安心して主権を侵害することができる。事なかれ主義の政府に独立の気概を失った国民が相手だ。何をやっても戦争になることを心配する必要がない。なぜなら、日本は憲法9条を頂く平和国家だからだ。

平和国家日本は自力では連れ去られた国民を救い出すことができない。だからアメリカに頼んで何とかしてもらおうとするが、アメリカとて自国に飛んでくるミサイルを無視するような国のためにリスクを冒そうとは考えないだろう。北朝鮮に油田があれば話は別だが、そのような話は出ていない。

9条平和主義はこれからも多くの犠牲を出すだろう。しかし、それが「平和」につながるわけではない。竹島の住民が韓国軍に殺され、自称「境界線」を越えた漁師がロシア国境警備艇に撃ち殺され、北朝鮮には国民が連れ去られ、領土も奪われて、それを「平和」と呼べるだろうか。

憲法9条がある限り、拉致被害者の帰国は絶望的である。

列車トラブル 早く乗客を外に出せないのか

事故などで列車が緊急停止し、乗客が長時間列車の中に閉じ込められるというトラブルがしばしば発生している。長いときには数時間に及ぶことがあり、体調を崩して救急車で病院に搬送される人もいる。

トラブルが発生して列車が動かなくなる、というのは仕方の無いことだろう。しかし、乗客への迷惑を最小限にするために、速やかに乗客を列車から降りてもらい、別の交通手段で目的地に行ってもらうということはできないのだろうか。
乗客が別の方向に行かないようにするために駅員数人を現場まで送るのに十数分、乗客全員が駅や踏み切り、作業用階段まで移動し線路外に出るのに数十分、合計1時間程度でできることだろう。隣の線路も運行を中止しているのであれば、これらの作業は問題なくできるのではないだろうか。

列車のトラブルを完全に防ぐことは難しいが、トラブルの影響を最小限に抑えるために工夫できるところは工夫して欲しい。

海底ケーブルと戦争

ここのブログに、海底ケーブルが外交と戦争に与えた影響を与えた分析がある。

http://blogs.yahoo.co.jp/variableannuit/51384962.html

6連載もありちょっと長いが、なかなか面白かった。

浄土真宗の僧侶の信仰心

浄土真宗の僧侶について質問があります。
首相の靖国神社参拝について、信教の自由を侵害したことの慰謝料を請求する裁判がいくつか提起されましたが、その多くに浄土真宗の僧侶が原告として加わっております。
このような裁判を起こすということは、「自分の御仏への信仰は首相が別の宗教を信じているくらいで妨げられる程度の薄っぺらいものです」と宣伝しているのも同然と感じられます。
このような裁判を起こした僧侶の信仰心は弾圧もされていないのに他者に影響されるような弱いものなのでしょうか?
仮に違うとした場合、このような誤解を招く行為を行なうことについて、真宗教団連合はどのように考えているのでしょうか?
私は大学で政教分離訴訟について調べているうちに以上のような疑念を抱きました。私は、自分の信仰に自信の無い人から説教を受ける気はありません。



このようなメールを真宗教団連合に送ってみた。

 来週、ゼミで政教分離訴訟について発表する予定であり、主に首相の靖国神社参拝についての訴訟を調べているが、そのほとんどに浄土真宗が登場する。
 訴訟の基本構造としては
・首相の靖国神社参拝は憲法違反であり
・自分の信教の自由が侵害されたから
・慰謝料払え

という感じである。

 左翼運動家がそういう裁判をするのはいいとして、宗教家もその裁判の原告に入っているというのが不思議でならない。上のような主張をすることは、自己の信仰心を否定しているのとほぼ同義だ。チベットでは命がけで信仰を守っている人々が大勢いるのに、平和国家日本では弾圧もされていないのに他者の動向が気になって御仏への信仰に集中できないらしい。

 もちろん、これらの主張が単なる口実にすぎず、この裁判の目的が靖国神社を貶めることだということは、傍論違憲原告敗訴の判決に大喜びしている原告団の顔が証明している。

 だとしてもだ。原告の僧侶は政治運動のために自らの信仰心を否定する発言を公然としている。仏様も見ているだろうに。

 私も一応仏教徒のつもりだが、このような僧侶の説教を受ける気にはならない。

くいだおれに行ってきた

6月8日に議員インターンシップの説明会があり、その帰りに大阪道頓堀の「くいだおれ」に行って来ました。

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この日はくいだおれ人形「くいだおれ太郎」の誕生日でもあり、日曜日ということもあって、多くの観光客が記念写真を撮って楽しんでいた。

まずは1階の洋食レストランへ。閉店間際なので大行列を覚悟していたが、夕食には少しはやめの夕方5時に到着したため、待たずに入ることができた。店内は昭和的大阪的雰囲気漂う店内風景を想像していたが、思ったよりも近代的な内装である。ここではくいだおれオムライスを注文した。トマトの風味がきいた豊潤な味わいはなかなかのものである。


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続いて、2階の居酒屋へ。すでに満席と言われたが、1時間くらいしたら席が空くといわれたので、しばらく道頓堀をプラプラすることにする。

数十分たって席が用意できたとの電話が入り、店に入る。座敷とテーブル席があり、店の外観から想像したよりも店内は広い。
軽く一杯ということで、ビールとほっけの塩焼きを注文。その後、カンパチの頭焼きと熱燗、焼酎を追加注文して軽く酔いが回ったところで引き上げた。

くいだおれは今年の7月8日に閉店する予定だ。大阪の象徴的を失ってしまうのは寂しい限りである。小さいころから存在は知っていたが、実際に訪れたのは初めてであり、日本人として一度訪れることができてよかったと思う。

チベットを忘れさせた四川大地震

 中国で発生した四川大地震。これにより、中国を取り巻く国際情勢はどう変わっただろうか。

 チベットでは今年3月から民族虐殺に対する暴動が発生し、世界中の世論がチベットに味方した。マスコミでも連日チベット関連のニュースを伝えていた。聖火護送リレーはチベット人虐殺反対の象徴だった。
 そこに5月12日の四川大地震である。マスコミは虐殺から地震へ完全にその報道対象を変えた。

 チベット人虐殺も四川大地震もどちらも惨事である。しかし、チベット人虐殺は中国共産党に全責任があるが、地震については誰も避けようが無い自然災害だ。日本などから救援チームを受け入れるなど、被災者救援については目だった不手際は今のところ報道されていない。ハリケーン被災地への海外支援を受け入れないミャンマー軍事政権とは対照的だ。役人の腐敗による建物の欠陥も、発展途上国ではよくあることであり、取り立てて中国政府を批判する材料にはならない。
 多くの人々は地震のことで頭が一杯になり、チベットのことを忘れているのではないだろうか。地震以来、マスコミはチベット関連の報道をほとんど行なっていない。

 数ヶ月前までの中国はチベット人虐殺が露呈し、そのイメージを大きく悪化させた。それに対し、地震後の中国は世界から同情を集めている。チベットのマイナスイメージが吹き飛び、被災地での感動秘話が報じられ、中国は地震後に大きく株を上げたかのように私には感じる。
 女優のシャロン・ストーンは「四川大地震はチベット弾圧の報い」と発言したが、現在の状況を見る限り、地震は報いどころか助け舟である。

 四川大地震も重大な出来事である。その犠牲者には追悼の念を示したい。しかし、100万人以上の犠牲者を出したチベット民族絶滅政策がそれより小さな問題であるはずがない。四川大地震という数週間前の重大事件がトップ記事になることは仕方が無いとしても、マスコミはチベットのことをもっと報じるべきである。そして、我々もチベットのことを忘れてはならない。
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