最近の報道を見ていると、しばしば、中山成彬前国土交通大臣の「ごね得」「日本人は単一民族」「日教組は解体すべし」といった発言が一括りに「失言」と表現されている。中山議員に限った話ではないが、野党・マスコミは政治家の揚げ足取りが大好きなようだ。
中山議員の諸発言について、その中身を検証する報道はほとんど見られない。十分な補償があるにも拘らず天下国家の大事業たる空港拡張に協力しない人々や、大和民族が長い間強力な異民族と切磋琢磨する機会を持たなかったことによる民族的欠点を検証し、中山議員の発言の真意を国民に伝える報道を私は求めていたのだが、ほとんどのメディアは言葉尻を捉えて問題発言だと騒いでいるのみである。日教組批判については、日教組加入率と学力テストの成績に相関関係が無いとする分析があったが、中山議員が明らかに間違っているわけではない、つまり、中山叩きに使えない前者2発言の分析は少なくとも私の目と耳には入らなかった。(もっとも、中山議員は日教組の問題を学力低下のみとしているわけではないが)
「失言」とは言うべきではない言葉を意味する。ある発言を「失言」と呼ぶことは、問答無用で誤りだと断定することと同じである。「ごね得」「単一民族」発言は、私としてはもっと深い議論が聞きたかったものの、中山議員本人が撤回し謝罪した以上、「失言」と称されるのはやむをえない。しかし、日教組批判については、中山議員は撤回していない。中山議員が政治家としての信念を持ってそう言っているからだ。
中山議員の主張に対しては賛否が分かれるところだろう。しかし、彼の主張に反対だからと言って、公正中立を謳うマスコミが失言=誤りだと一方的に決め付けるような論調には私は納得できない。日本の政治家は軽くなったとしばしば言われるが、マスコミもまた軽い。
【参考記事】
「日教組批判は取り消すわけにいかない」中山前国交相インタビュー(上)
「徹底してやるしかないんじゃないの」妻の言葉に押され 中山前国交相インタビュー(下)
組合と学力に関連性はあるか? 低学力地域は日教組票多く
中山議員の諸発言について、その中身を検証する報道はほとんど見られない。十分な補償があるにも拘らず天下国家の大事業たる空港拡張に協力しない人々や、大和民族が長い間強力な異民族と切磋琢磨する機会を持たなかったことによる民族的欠点を検証し、中山議員の発言の真意を国民に伝える報道を私は求めていたのだが、ほとんどのメディアは言葉尻を捉えて問題発言だと騒いでいるのみである。日教組批判については、日教組加入率と学力テストの成績に相関関係が無いとする分析があったが、中山議員が明らかに間違っているわけではない、つまり、中山叩きに使えない前者2発言の分析は少なくとも私の目と耳には入らなかった。(もっとも、中山議員は日教組の問題を学力低下のみとしているわけではないが)
「失言」とは言うべきではない言葉を意味する。ある発言を「失言」と呼ぶことは、問答無用で誤りだと断定することと同じである。「ごね得」「単一民族」発言は、私としてはもっと深い議論が聞きたかったものの、中山議員本人が撤回し謝罪した以上、「失言」と称されるのはやむをえない。しかし、日教組批判については、中山議員は撤回していない。中山議員が政治家としての信念を持ってそう言っているからだ。
中山議員の主張に対しては賛否が分かれるところだろう。しかし、彼の主張に反対だからと言って、公正中立を謳うマスコミが失言=誤りだと一方的に決め付けるような論調には私は納得できない。日本の政治家は軽くなったとしばしば言われるが、マスコミもまた軽い。
【参考記事】
「日教組批判は取り消すわけにいかない」中山前国交相インタビュー(上)
「徹底してやるしかないんじゃないの」妻の言葉に押され 中山前国交相インタビュー(下)
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