つぶや記

京都で大学生をやっている松岡智之です。 新聞記事に突っ込んだり、読んだ本の感想なんかを徒然なるままに執筆します。

2009年12月

レビュー「生徒会の七光」 飛鳥と杉崎はどうなるのか

『生徒会の七光 碧陽学園生徒会議事録7』 (富士見ファンタジア文庫) (文庫)
葵 せきな (著), 狗神 煌 (イラスト)

 本題に入る前に書いておくが、まず未読者向けのレビューを書く。それはネタバレの心配はしなくても大丈夫。その後、下の方に読んだ感想を書くが、これを見ると結構なネタバレになると思う。ネタバレ危険領域に入る前に警告を出すので、注意してください。


ネタバレ注意度:低(未読者の楽しみを奪わないよう配慮)


 今作は「生徒会の一存」シリーズの転換点となる作品であろう。これまでも杉崎の過去、義妹と幼馴染との二股が話題になったことがあったが、今作では義妹である林檎と幼馴染の飛鳥が本格的に登場する。
 特に、林檎のキャラには驚いた。一言で言えば、「純真勘違い少女」かな。林檎が近くに来たからという事で、杉崎が林檎を生徒会室に連れてきて、生徒会メンバーと楽しいことになるのだが、真冬、必死すぎる。林檎と真冬は若干キャラがかぶっているが(僕はそうは思わないが)、いろいろなスペックでは林檎が上回っているという事で真冬が打ちのめされた。
 でも、そんな真冬も可愛いです。

 飛鳥はひたすら杉崎を振り回す。先輩たちの卒業式だってのに杉崎は飛鳥に呼ばれて温泉宿に一泊することになり、そして物語は大きく動く。




生徒会の七光 碧陽学園生徒会議事録7 (富士見ファンタジア文庫) Amazon
生徒会の七光 碧陽学園生徒会議事録7 (富士見ファンタジア文庫) BOOK・OFF






ネタバレ注意度:中(ネタバレがあるが、作品の性質上、読んでも大幅に楽しみが奪われることは無いと思う。)






 杉崎は飛鳥の告白を受けるのだろうか。私は受けるのではないかと思う。
 おそらく、杉崎の気持の中での順位は

飛鳥・林檎>生徒会メンバー

ではないだろうか。ハーレムを作ると言っているのも、飛鳥と林檎との二股事件によるところが大きい。きっと、飛鳥と林檎のために、みんなを幸せに出来る男になろうと思い、そのためにハーレムを目指しているのではないだろうか。もしそうであるならば、飛鳥と林檎でどちらを選ぶかという葛藤はあっても、生徒会は早期に選択肢から外れると思う。

 そして、理由は自分でもよく分からないが、鍵と林檎がくっつくことも無いような気がする。あのバカップルぶりが、最終的には林檎ルートが無いことを示唆しているように感じる。

アフィリエイト、ホームページ製作の経験でも書こうかと

 私は高校時代からアフィリエイトに手を出してきた。かれこれ7年くらいの経験になるだろうか。そういうわけで、せっかくだから、私のアフィリエイトの経験を話そうと思う。結論から言うと、ほとんど儲からなかったのだがな。


 アフィリエイトを始めたきっかけは、バイトしたかったからだ。しかし、私の通っていた高校は基本的にバイト禁止で、夜遅くまで補習があるから、隠れてバイトすることも困難だった。そこで、内職的なものは無いかと考えて行き着いたのがアフィリエイトだった。
 最初は電脳卸とA8ネットに登録してネットショップみたいなものをやってみた。今は削除したが、「プリペイド携帯のすすめ」というタイトルで、J−PHONのプリペイド携帯の紹介をしていた。3000円のカードを2900円くらいで販売するサイトがあり、そこを紹介すると20円くらいもらえるのだ。他にも、携帯ストラップなどを紹介した。当時(今もだろうが)、着うたが流行していたが、ネット接続がメールしかできないプリペイド携帯では使えなかった。そこで、プリペイド携帯でも使える着うたのアイテムを紹介したりもした。

 これは、ぼちぼち儲かった。といっても、1年で1000円くらいだ。アフィリエイトで月収100万円とか言うサイトに煽られてやってはみたが、よく考えたら自分自身、ネットで買い物などしたことがない。しかも、こんな怪しいサイトで誰が金を払うだろうか。

 ネットでものを買わせようと思ってもダメだと思い、今度は多数のアクセスを集めるサイトを作り、クリック報酬で儲けようと思った。ここで作ったのが青春18きっぷ紹介のサイトだ。簡単に言えば、1日あたり2300円でJRの普通電車が全国で乗り放題になる切符なのだが、その詳しい説明や、長距離移動のプラン紹介などをした。しかし、競合サイトが多いせいか、アクセスは1日30程度だった。
 そこで、もっとアクセスを集めるテーマは無いかと考えた。ちょうどそのころ、無料で市販の曲を聴くことができるページがあり(無論、違法なのだが)、私もよく利用していた。しかし、全く情報が整理されておらず、曲を探すには不便があった。そこで、歌手別、歌別に音楽データのURLを整理するというリンク集サイトを製作した。アクセス数は一日200、多い日で500を超えた。しかし、違法サイトへのリンクが主要コンテンツなので、ASPの審査にはことごとく落ちた。また、著作権違反の幇助になるのではないかとビビり、結局閉鎖することにした。しかし、アクセス数においては大成功したため、その経験を生かし、合法的に公開されているMIDIサイトへのリンク集を作成した。MIDIとはメロディのみを聞くことが出来る音楽データで、容量も1曲あたり数十KBと軽い。個人で市販の曲のMIDIを作成し、JASRACという著作権管理団体に年間1万円くらい払って自分のサイトで公開している人が多数存在した。しかし、さきほどの違法音楽と同様、あまり整理されておらず、自分が聞きたい曲を探すには手間がかかった。そこで、曲別にいくつかのMIDIページへリンクを貼るという形式のリンク集を作った。これがあれば、パソコンの前でカラオケみたいなことができるため、「無料カラオケ案内」と名づけ、公開した。アクセス数は1日100、土日は300ほど集めることが出来た。
 しかし、問題があった。まず、MIDIを公開している人は、自分のサイトのトップページでなく実際に音楽が流れる個別のページにリンクされることを嫌う人が多かった。いわゆる、「直リンク禁止」というものである。これに従っていてはサイトを作れないので無視してリンクしまくったが、MIDI製作側もURLを頻繁に変更するなどして対抗した。そういうことをされると、リンク切れが発生し、メンテナンスが面倒になる。
 もう一つの問題は、アクセスを集めてもクリックされないということだ。事前にアフィリエイトサイトで調べた情報によると、訪問者の1%くらいがクリックするとあった。しかし、実際にやってみると、1000人に一人がクリックするかどうかの世界だった。これでは1日に5円も稼げない。

 そこで、今度は表示回数に応じて報酬が支払われるサービスは無いかと思い探した。数が少なく、探すのに苦労したが、2つだけ見るけることが出来た。Yahoo!アドパートナーPitta!である。額は少ないが、毎日1円、2円と確実に報酬が入る。報酬額はPitta!の方が倍くらい高い。さらに、Pitta!の場合、1日いくらの広告も出すことが出来る。最初に自分で広告の値段を決める。例えば、1日10円とする。それに対し、広告を出したい企業がオファーを出す。互いが合意すれば、その企業の広告が自分のサイトに出る。そして、設定した広告料10円から30%が手数料として差し引かれ、7円が自分の収入になる。こういったオファー広告はたまにしか来ないが、オファー広告が無いときは表示回数(インプレッション)保障の広告になる。
 ただし、残念なことに、オファーしてくれる広告主のほとんどが怪しい内職サイトだ。詐欺の匂いがプンプンする。そういう広告を掲載すると自分のサイトのイメージが大幅に悪化するので、私はそのようなオファーは承認しない。しかし、これだとほとんどオファーがもらえない。

 そういうわけで、今メインで使っているアフィリエイトサービスはPitta!だ。半年ほどで5000円だから、これまでで最も報酬が高い。


 さて、ここまで読んで分かったと思うが、少なくとも私自身、アフィリエイトは収入を得る手段としては極めて効率が悪い。同じ時間を使ってアルバイトした方がはるかに金になる。だが、魅力も無いわけではない。私は今、ブログを書いているように、何かものを書いて他人に見せるのがわりと好きな性格だ。その文章が評価されるのは嬉しい。そして、その評価の指標として、万人にとって価値を持つ円(通貨)でブログが評価されるのは、たとえ駄菓子一つ買えるかどうかの金額であっても満足感は大きい。だから、たぶん今後もアフィリエイトは細々と続けると思う。

 そして、今検討しているのがAmazonだ。時々ブログでもレビューを書いているが、アフィリエイトリンクを貼るべきかどうか迷っている。というのも、金目当てで賞品を絶賛しているサイトが多く、アフィリエイトをやっているかどうかでサイトの信用性を判断している自分がいるのだ。私は税理士を目指しており、ネットでも情報を集めているが、税理士教材のアフィリエイトをやっているサイトの情報は信用していない。
 だが、レビュー書いてAmazonへリンクを貼り、収入を得るというやり方はかなり一般的になってきた。だから、少しくらいアフィリエイトやっても避けられることは無いだろうなとも思う。とりあえずは、アフィリエイトの対象となる商品に関しては厳しめのレビューを書くことで、金目当てのブログだと思われないようにしたい。


 

新しいブログ作りました

 新しいブログを作りました。

旅の写真

 私は普段から遠出する時は写真をパシャパシャ撮っているので、それを紹介するサイトです。このブログでも旅行の記事は書いていますが、今後は「旅の写真」に掲載することにします。

 私がブログをやっている理由の一つは広告収入なんですが、観光地に関する記事は賞味期限が長いので、一度書けば長期間に渡ってアクセスを稼いでくれるだろうと期待しています。

書評『書いて稼ぐ技術』永江朗

書評『書いて稼ぐ技術』永江朗

 本書はフリーライターの魅力、フリーライターとはどのような仕事か、どのようにして仕事しているか、収入はどうなっているか、などについてまとめた本である。
 フリーライターは不安定な職業だと一般には思われているが、本書ではまずそれを否定している。フリーライターは元手のかからない商売であること、出版社勤務の編集者は会社が潰れたり担当する雑誌が廃刊になるとすべての仕事を失うことになるが、複数の雑誌に寄稿しているフリーライターにとってはいくつかある仕事の一つを失うにすぎないからだという。私は実際のところどうなのか知らないが、少なくとも、本書を読むとフリーライターという仕事も現実的なものだと感じた。

 このように、フリーライターも職業として成り立つと思わせた後、フリーライターの仕事のやり方の説明に入る。営業の方法、編集者はどのようなライターを求めているか、単著で本を書くと信用されるから新人のヒマなうちに書いた方がいい、など。そして、フリーライターとしてどのようにステップアップするか、原稿料や印税はどうなっているかという話はフリーライターの実態像を知らない私にとって参考になる話だった。
 また、フリーライターにとっては必須となる情報収集の方法も説明しているが、これは一般人にとっても知っておくべきことも多いと思う。特に、インターネットを使った情報収集術は参考になるだろう。

 ただ、本書はフリーライターの難しさにはあまり触れられていない。本を読んだ限りでは、この通りにやれば誰でも成功しそうな気がする。私にはよく知らない世界なのだが、何においても独立して商売して成功するのは一部の人間だけで、多くの人は失敗しているのではないだろうか、と素人ながらに考えている。フリーライターは誰でも食べていける世界なのか、それとも、(著者にとっては競争相手をいたずらに増やす行為だから考えにくいが)人々をフリーライターの世界に誘い込むために悪い面を隠しているのか、そのあたりの事情はよく分からない。もし本書を読んで「なるほど、フリーライターとはこういう仕事なのか。ふむふむ。」を飛び越し、「よし!おれもフリーライターになるぞ!」と言う人がいたら、そのあたりのことも心配した方がいいだろう。


書いて稼ぐ技術(BOOKOFF)

書いて稼ぐ技術 (平凡社新書)Amazon

スーパーメガウェンディーズを食べてみた

 ハンバーガーチェーン、ウェンディーズが今年一杯で閉店となり、かつて販売していた大型ハンバーガー「スーパーメガウェンディーズ」を復刻販売した。21日発売開始なので、今日の昼食として食べてみた。



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 ジュースの前に立てているのは銀行のキャッシュカードである。これは飲食業界全般に共通することだが、店内に掲げている写真に比べればかなり小さい。が、ハンバーガーチェーン全体で考えれば、大きい部類だろう。巨大佐世保バーガーには及ばないが、マクドナルドのクォーターパウンダーに比べれば少し大きいかな。
 味はわりと良かった。マクドナルドじゃないから美味しく感じる私の味覚を差し引いても悪くないと思う。中のハンバーグはやわらかく、味はしっかりしている。

 価格は単品で550円。ドリンク・ポテトを付けると880円。

 個人的には食べて後悔はしていないが、また行こうとは思わないな。


関連記事
閉店を前に「スーパーメガウェンディーズ」復刻 - ITmedia News




ふたご座流星群を

 私は星座には興味は無いが、せっかくなのでアパートの屋上から星を眺めた。この日は晴れていたため、地元大牟田並みの星空だった。5分で2個の流れ星を見ることが出来た。
 さて、それで調子に乗り、ついつい京北まで行ってしまった。私のアパートは京都市上京区で京北は京都市の北の辺境。市内ではあるが、距離は30kmあり、バイクで1時間かかった。寒かった。ジャンパーは先日買ったものすごく分厚い綿の入ったものを着たから上半身はよかったが、足、特につま先が寒い。
 
 でも、まわりは暗く、空も晴れていたので、今まで見たことが無い星空を見ることが出来た。霧があって空がぼやけたのが残念だったが、白い霧がプラネタリウムでしか見ることが出来ない天の川のミルクのように見えて、それはそれで悪くなかった。


 そこで俳句を一つ作ってみた。

寒空で ふたご座からの 客を待つ

 あるいは、これに下の句を付けて短歌にしてもいいかもしれない。

寒空で ふたご座からの客を待つ 卒論提出 二日前にて

 はい。すみません。こんなブログ書いてる場合じゃなかったです。今日は徹夜になりそうです。

映画「宇宙戦艦ヤマト復活編」感想

 今月12日、友人と劇場版「宇宙戦艦ヤマト復活編」を見に行った。私は映画はほとんど見ない。映画館に行けば1500円、半年待ってDVD借りて300円なら、普段は後者を選ぶ。中学以降に映画館で見た映画はDVDレンタルが期待できない特殊な作品のみだ。しかし、ヤマト続編は前々から楽しみにしていたし、ジャンル的に迫力が大事なので、久しぶりに映画館に行くことにした。

 行った映画館は二条駅横のシネコンだ。シネコンという所に行ったのは初めてだ。地元映画館とはシステムがだいぶ異なっていた。



 ここからは少しネタバレになるので注意してください。




 ヤマトがアクエリアスに沈んだ17年後が映画の舞台だった。古代は森雪と結婚し、娘がいる。理由はよく分からないが、地球防衛軍(?)を辞め、宇宙貨物船の船長をやっている。そして、地球防衛艦隊の司令長官は真田さんだ。個人的には真田さんもヤマトに乗り、科学の力でヤマトを窮地から救って欲しかった。
 雪はなんと移民船団の護衛艦隊司令官だ。しかし、序盤で敵の攻撃を受け、目下行方不明。最後に生きて古代と再開を果たすと信じていたのに。第二部で出てくるのか?
 そして何より、デスラー総統。なんと、彼はこの映画に出演していない。非常に残念だ。銀河系中心部で大きな戦闘があったようだが、ガミラス帝国は大丈夫なのだろうか?彼も第二部で期待したい。

 ところで、今作ではヤマトの電算室が大活躍するのだが、なぜこのような重要部門を第三艦橋に配置するのだろうか?かつてヤマト第三艦橋が無事だった例があっただろうか?

 まぁ、いろいろ気になる点はあるものの、私は見て良かった映画だと思う。特に、機関室の徳川が成長した姿を見れたのはよかった。きっと、親父さんのような立派な機関長になるだろう。






関連サイト

ニチギンのナニノソレな話 : ヤマト復活編の感想

書評「新聞があぶない」 押し紙など

『新聞があぶない』黒藪哲也

 本書は、新聞社が販売店に実際に購読されている数をはるかに越える部数の新聞を送り、その代金を請求する、いわゆる「押し紙」問題についてのルポタージュである。
 本書で紹介された「押し紙」の一例を挙げると、大阪府四条畷市の新聞販売店は実際に配達していた新聞は一日に約3000部だったが、印刷所からは毎日5000部を超える新聞が送られた。部数拡大を目指す新聞社から必要以上の新聞を注文することを求められたためだ。余った2000部は誰にも読まれないまま古紙回収業者が引き取っている。販売店は実際に配達した3000世帯・事業所からしか代金を得ることができないが、新聞社には5000部分の代金を支払わないといけない。これでは赤字だ。注文部数が多ければ新聞社からの補助金や折り込み広告の収入は増えるが、押し紙の損失を相殺するには全く足らない。かといって、押し紙を断れば新聞社からは契約を解除され、販売店を継続できない。こうして、この販売店の経営は破綻した。

 本書では、他にも多数の具体例を示しながら押し紙の実態を紹介している。また、押し紙の被害者は新聞販売店のみではなく、全国民だとしている。なぜなら、折り込み広告の費用は押し紙も含めた名目上の発行部数に応じて決まる。そして、地方自治体は広報紙を新聞の折り込み広告として配布している。新聞の発行部数が高く偽られることで広告主が騙され、その広告主には地方自治体も含まれ、納税者が損をしているという図式だ。

 また、こういった違法行為に頼った経営をしていると、政府が新聞業界につけ込む隙を作ることになり、ジャーナリズムとしての機能を果たせなくなると警鈴を鳴らしている。

脳死は人の死か、について 私は三兆候説支持

 今日、脳死は人の死かどうかについて友人と議論した。せっかくなので、このブログに私の考えをまとめておく。


要約)
 人の死は三兆候によって判断すべきであり、脳死状態だけでは死とすべきでない。脳死者はまだ生きているが、その人の命を奪うことは臓器移植法など法に基づいて行われる場合に許される。



 なお、心臓死と三兆候を同じものだという前提で議論されることも多いが、ここでは区別して論じる。心臓死とは、心臓が不可逆的に停止した状態とする。心臓マッサージしても蘇生しない場合だ。三兆候とは、心臓と呼吸が不可逆的に停止、瞳孔が散大している状態だ。

 これは現行法に従った考え方ではないが、私は、脳死は人の死ではなく、呼吸の不可逆的停止、心臓の不可逆的停止、瞳孔散大のいわゆる三兆候を示した状態を「死」だと考える。

 現行の臓器移植法によれば、脳死判定された者は「死体」に含むと規定されているが(第6条)、私は脳死判定されればその時点で「死」とする考えには賛成できない。その理由は、手続き的な条件で人の生死を区別することに反対だからだ。

 続きを説明する前に臓器移植法第6条を引用する。この法律は改正案が成立し、2010年7月から施行されるので、現行法と改正法の両方を引用する。


臓器移植法(現行)
第六条  医師は、死亡した者が生存中に臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当該臓器の摘出を拒まないとき又は遺族がないときは、この法律に基づき、移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)から摘出することができる。
2  前項に規定する「脳死した者の身体」とは、その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定されたものの身体をいう。
3  臓器の摘出に係る前項の判定は、当該者が第一項に規定する意思の表示に併せて前項による判定に従う意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けたその者の家族が当該判定を拒まないとき又は家族がないときに限り、行うことができる。
4  臓器の摘出に係る第二項の判定は、これを的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の医師(当該判定がなされた場合に当該脳死した者の身体から臓器を摘出し、又は当該臓器を使用した移植術を行うこととなる医師を除く。)の一般に認められている医学的知見に基づき厚生労働省令で定めるところにより行う判断の一致によって、行われるものとする。
5  前項の規定により第二項の判定を行った医師は、厚生労働省令で定めるところにより、直ちに、当該判定が的確に行われたことを証する書面を作成しなければならない。
6  臓器の摘出に係る第二項の判定に基づいて脳死した者の身体から臓器を摘出しようとする医師は、あらかじめ、当該脳死した者の身体に係る前項の書面の交付を受けなければならない。



臓器移植法(改正法、2010年7月から施行)
第六条  医師は、次の各号のいずれかに該当する場合には、移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)から摘出することができる。
 一 死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当該臓器の摘出を拒まないとき又は遺族がないとき。
 二 死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合及び当該意思がないことを表示している場合以外の場合であって、遺族が当該臓器の摘出について書面により承諾しているとき。

2  前項に規定する「脳死した者の身体」とは、脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定された者の身体をいう。

3   臓器の摘出に係る前項の判定は、次の各号のいずれかに該当する場合に限り、行うことができる。

 一 当該者が第一項第一号に規定する意思を書面により表示している場合であり、かつ、当該者が前項の判定に従う意思がないことを表示している場合以外の場合であって、その旨の告知を受けたその者の家族が当該判定を拒まないとき又は家族がないとき。

 二 当該者が第一項第一号に規定する意思を書面により表示している場合及び当該意思がないことを表示している場合以外の場合であり、かつ、当該者が前項の判定に従う意思がないことを表示している場合以外の場合であって、その者の家族が当該判定を行うことを書面により承諾しているとき。



4  臓器の摘出に係る第二項の判定は、これを的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の医師(当該判定がなされた場合に当該脳死した者の身体から臓器を摘出し、又は当該臓器を使用した移植術を行うこととなる医師を除く。)の一般に認められている医学的知見に基づき厚生労働省令で定めるところにより行う判断の一致によって、行われるものとする。

5  前項の規定により第二項の判定を行った医師は、厚生労働省令で定めるところにより、直ちに、当該判定が的確に行われたことを証する書面を作成しなければならない。

6  臓器の摘出に係る第二項の判定に基づいて脳死した者の身体から臓器を摘出しようとする医師は、あらかじめ、当該脳死した者の身体に係る前項の書面の交付を受けなければならない。



 現行法も改正法も、脳死と判定されれば「死体」と扱われる。脳死を人の死と位置づけているようだ。これに対して私は反対だ。臓器移植法で定める脳死判定には本人・家族の同意や、二人以上の医者の判断の一致などの条件がある。こういった手続きを経ないと「脳死」と判断されず、「死体」にならない。もし脳死者の家族が脳死判定に反対しているのに医者が勝手に脳死だと判定しても、この法律の要件を満たしていないので「死体」にはならないことになる。家族の意思によって脳死者の生死が分けられるのだ。私はこれに納得ができない。私は、人の生死は「心臓が停止している」「脳が停止している」など客観的な状態によって区別されるべきであり、誰かの意思によって左右されるべきではないと思う。

 従って、脳死と判定されば死、という臓器移植法の立場には反対だ。
 そうなると、残される死の基準は心臓死、脳死、三兆候になるのだが、まず、脳死を死の基準とすることに反対する理由を述べる。「まだ心臓が動いているぞ」「まだ温かいぞ」といった感覚的な主張は論理的に説明することが困難だし、私も迷うところなので、ここではその議論は持ち出さない。私が脳死を死の基準とすることに反対する理由は、事後的にあの時脳死だったかどうか調べることが極めて困難だからだ。例えば、病院で危篤状態の患者の胸をナイフで刺し、それまで動いていた心臓を停止させた人が逮捕され、殺人罪で起訴されたとする。この時被告人が「私が刺したとき彼は脳死状態だったから、私は死体を損壊したにすぎない。殺人罪は不成立だ。」と主張したら大変だ。人がナイフで刺されたり、銃で撃たれたりしたときに心臓が動いていたか否かは、警察が解剖すればだいたい分かる。しかし、脳が動いていたか否かはなかなか分からない。このように、脳死を死の基準とすると、後になってあの時生きていたか死んでいたのか分からなくなる。これにより、どうにもならない紛争が発生するだろう。それは不都合だ。だから、脳死を人の死とすることに私は反対である。
 心臓死を人の死とすることに反対なのは、心臓は止まっている、あるいは摘出されているが人工心肺によって身体が活動している人をナイフで刺したりして完全に身体の活動を止める行為を殺人として扱いたいからだ。心臓死を人の死とすると、人工心肺で生かされている人は「死体」となる。もし誰かが人工心肺装置のスイッチを切ったりしても、殺人罪にはならない。それはおかしいだろう、という理由で、人工心肺で生かされている人を法的にも生きている状態にしたい。

 こういった理由で三兆候説を私は支持する。

 なお、脳死者の臓器移植に関しては、私は賛成だ。ただし、現行法のように、「脳死者は死んでいるから移植を認める」という理屈ではない。「脳死者は生きているがもうすぐ死ぬので、本人や家族の同意があるなら他人の命を救うために臓器を摘出して死に至らしめても許される」という思考である。

 そして、臓器移植法第6条1項の「移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)から摘出することができる。」という規定を「移植術に使用されるための臓器を、死体および脳死した者の身体から摘出することができる。」に変更すれば、私の考え方と矛盾しない。
 または、「死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)」という言葉を、「脳死した者の身体」は「死体」ではないが「死体」と同様に扱う、と解釈しても、私の考え方と矛盾しない。

 この問題については異論はたくさんあるだろう。また、おそらく、私の意見はかなりの少数派だろう。偉い人は「脳死は人の死とすることに社会的合意が得られていないから、脳死を人の死とすることに反対」と言っているが、私はただの大学生なんで、まわりの意見は関係なく自分の意見を言っている。








後記

 この考え方を以前、別の友人に話したとき、以下のような反論を受けた。
 「殺人罪の保護法益は人命という重要なものであり、臓器移植目的だからといって違法性が阻却されることは許されない。脳死は人の死と考えるべきだ。」

 確かに、彼のいう事ももっともである。私は刑法第35条「法令又は正当な業務による行為は、罰しない。」で簡単に処理できると考えていたが、本人が同意しているからといって殺人を許容する理屈はちょっと考えにくいし、改正臓器移植法によれば、本人が臓器移植について意思を表示していなくても家族が同意すれば移植できるとされている。そうしないと、意思能力の無い乳幼児の移植ができないのだ。

 ここはどう考えるべきか。まだ生きているが数日以内に死ぬことがほぼ確実なので一般人に比べて生命の保護法益が軽く、法律に基づいた臓器摘出なら殺人罪が成立しないと考えるか。難しい問題だ。

 私は、殺人を正当化する問題よりも、生死の区別を人の意思によって操作できることの問題が大きいと考えているので、やはり三兆候説をとる。
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