浅川芳裕著『日本は世界5位の農業大国 大嘘だらけの食料自給率』の書評が「日刊サイゾー」に掲載されている。ここから少し引用する。
本書はまだ読んでいないが、タイトルから想像すると、これが本書のメインテーマだろう。
金額ベースの食料自給率は66%もあるから大丈夫だ、と言いたいようだが、そのような統計の使い方は間違っていると思う。
政府は何のために食料自給率の数字を使っているのか。食料輸入によって貴重な外貨が流出することを憂慮しているためか。それならば、金額ベースの数値を使うことにも合理性はあるだろう。
しかし、終戦直後までの時代ならともかく、現在の日本でそのような心配をしている人はほとんどいないだろう。食料自給率が低いことを心配するのは、もし戦争などで食料輸入が途絶えたら国民が飢えるからだ。金額ベースの食料自給率がカロリーベースのそれよりも高いのは、日本産の農作物の価格が高いか、食ってもエネルギーにならない野菜の比重が高いか、その両方だ。後者は分からないが、前者は確実だろう。それで、その数値が高いと何か安心できるのか?国産農作物の価格と外国産農作物の価格の差が広がれば広がるほど金額ベースの食料自給率は上昇するが、それによって輸入が途絶えたときに国民が飢えなくなるのか?
では、食料自給率のどこがインチキなのか。国が国策として向上をうたう自給率には「カロリーベース」と「生産額ベース」の2種類があるという。僕らがふだん見聞きするのはもっぱらカロリーベース自給率で、最新値(2008年)は41%だ。一方の生産額ベースではどうかというと、07年で66%。著者の試算によれば先進国中3位の数字だそうだが、こちらはほとんど話題に上らない。なぜ、わざわざ自給率を低く発表し、国民の不安を煽るのか。
本書はまだ読んでいないが、タイトルから想像すると、これが本書のメインテーマだろう。
金額ベースの食料自給率は66%もあるから大丈夫だ、と言いたいようだが、そのような統計の使い方は間違っていると思う。
政府は何のために食料自給率の数字を使っているのか。食料輸入によって貴重な外貨が流出することを憂慮しているためか。それならば、金額ベースの数値を使うことにも合理性はあるだろう。
しかし、終戦直後までの時代ならともかく、現在の日本でそのような心配をしている人はほとんどいないだろう。食料自給率が低いことを心配するのは、もし戦争などで食料輸入が途絶えたら国民が飢えるからだ。金額ベースの食料自給率がカロリーベースのそれよりも高いのは、日本産の農作物の価格が高いか、食ってもエネルギーにならない野菜の比重が高いか、その両方だ。後者は分からないが、前者は確実だろう。それで、その数値が高いと何か安心できるのか?国産農作物の価格と外国産農作物の価格の差が広がれば広がるほど金額ベースの食料自給率は上昇するが、それによって輸入が途絶えたときに国民が飢えなくなるのか?