つぶや記

京都で大学生をやっている松岡智之です。 新聞記事に突っ込んだり、読んだ本の感想なんかを徒然なるままに執筆します。

法学

学生の津波被害に対する学校の責任について私見

 3月11日の東日本大震災による津波で学校の生徒が被害に遭うこともあったが、これに対し、学校が生徒を適切に避難させなかったから死んだのだと損害賠償を求める人も出てきた。こういう場合、学校に賠償義務はあるのか、私なりの考えを書いてみようと思う。


 まず、賠償責任を課すには、学校側に生徒の命を助ける能力があり、適切に行動すれば高確率で生徒は助かったであろう、しかし、学校の不適切な行動により生徒は死んだ、ということが前提だ。ここなら安全と思って逃げた高台の標高が足りなかったとか、逃げるための手段がなかった(避難場所は遠く車は少ない)とか、そういう事情なら過失は無いと考えるべきだろう。

 このように、学校が可能なのに避難させなかった場合、学校が賠償義務を負うかどうかは、このような災害時に生徒を助ける義務があったかに関わると思う。その義務の存否は学校の種類による。

・幼稚園、保育所、小学校
救助義務は当然あるだろう。

・中学校
義務教育ということを考えて、救助義務を認めるべき。

・高校
15歳にもなると、危険かどうかは自分で判断できる年齢だと考えることもできる。だが、危険か否かを知るためには情報入手手段が必要である。例えば、テレビ付携帯電話。電話は使えないがテレビはある程度視聴可能なので、そういう物の持ち込みを学校が許していたかが問題である。携帯電話の持ち込みを認めていない学校の生徒は災害情報の入手手段を学校に奪われている。したがって、学校が適切に判断し、生徒を避難させる義務を負う。また、逃げようとする生徒を教師が引き留めた場合も、学校の責任を認めるべきだろう。
では、携帯電話の持ち込みを認めていた学校ではどうだろうか。15歳はまだまだ子供ともいえる。救助義務を認めるかどうかは、このあたりが境界だと思う。私としては、救助義務ありと考える。

・大学、専門学校、自動車学校
これは、自分で物事を考えることのできる人間が行くところであり、救助義務は無いと思う。

書評「債権なにがなんでも回収法」

石原豊昭『債権なにがなんでも回収法』

 貸した金や商品の代金の取立てについて、波風の立たない穏やかなやり方が相手に強烈に嫌がられるやり方、若干違法性のあるやり方まで、債権回収に使えるさまざまな方法を紹介している。
 本書では法律の話はもちろんあるが、それがメインではない。債権回収の2要素は「支払い意思」と「支払い能力」である。相手が借金を返す気が無いと訴訟など面倒な手段を用いなければならなくなる。どのように債務者を追い詰め、借金を返す気にさせるかなど、駆け引きのやり方について説明している。債務者への圧力のかけ方もいくつか紹介されているが、債務者の自宅へ夜討ち朝駆け、さらに、第三者の同情を得て債務者がその地に住みづらくなるように「頼むよ、ナ、頼む、返してくれ」と言うなど債務者がバツの悪い思いをするような演出をするとよい、という方法には感銘を受けた。他にも、どこの悪徳弁護士だと突っ込みたくなるような方法が紹介されている。

 法学部生など、債権法(民法)を学ぶ人は、これから学ぶことが債権回収にどのように使われるのかを知るために、本書を読むことをおすすめする。

書評「いちばんわかる税法の本」

野口浩『いちばんわかる税法の本』TAC出版

 所得税、法人税、消費税、相続税についての大まかな説明を分かりやすくしている。三木義一先生の「よくわかる税法入門」ほどチャラチャラしておらず、各税目ごとに説明されている。
 著者は税理士であるが、時々、税理士の立場から複雑な税制やそれをなかなか理解してくれない経営者に対する愚痴があったりして面白い。税理士としての経験談も多いから、税理士がどんな仕事をしているのか参考にすることもできるだろう。

 一般人は、税法はサラリーマンに厳しい、消費税はお店で商品を買った消費者が納税するものだ、相続税は自分が相続した財産にかかる、と思っていることがしばしばあるが、それが実は誤解だということもこの本を読めば分かりやすく説明してくれる。

脳死は人の死か? 税務署に聞いてみた

脳死は人の死か。
旬を過ぎた話題だが、去年の今頃は議論になっていたな。

そこで、確定申告書を出すついでに税務署の人に聞いてみた。

なんで税務署に聞くのかというと、ここは相続税を扱っているからだ。かなりのレアケースだとは思うが、脳死と心臓死のいずれを死亡、つまり相続の開始とするかで相続税の金額が変わることがある。簡単に言うと、死んだ人の子供(法定相続人)の数が多ければ多いほど、一人当たりの取り分が減るから、税率が低くなる。死んだ時点で子供が1人か2人かで相続税の金額は違うことがある。

質問
「相続税の計算をする時、脳死は人の死として扱うのですか。例えば、父親が脳死状態になり、その後息子が亡くなって、その後父親が臓器を摘出されるなどして心臓死になった場合、父親はいつ死んだことになるのですか?」

税務署員
「すみません、ちょっと調べてきます。」

数分後
税務署員
「医者が死亡届に書いた日ですね」


そう来たか。
じゃあ、死亡届にはいつの日付を書くのかな。機会があれば聞いてみたい。

感想『法律学入門』

佐藤 幸治, 鈴木 茂嗣, 田中 成明, 前田 達明『法律学入門』(有斐閣、2006年)

 私は法学部を卒業し、税理士試験合格を目指している身だが、改めて法律学を復習したいと思い、この本を読んでみた。買ったのは確か、大学1回生の時だが、結局読まずじまいだった。今は補訂版が出ているらしい。

 読み終えるまでには結構時間がかかった。Amazonの商品説明には"身近で具体的な問題に即しつつ法律の基礎的知識を修得し,徐々に抽象的・全体的な法の世界へと読者の視野を拡げられるように工夫した「簡潔な道案内書」”と書かれているが、一応3年で卒業単位を取り終えた程度の成績の私でも若干難解に感じる。本のタイトルには「入門」とあるが、大学1年生がこれを読んでもよく理解できないだろう。
 だが、法学部3、4回生が復習がてら法学を概観するには良い本かもしれない。法律とは何か、などといった根本的な議論はつい忘れがちなので、ある程度勉強が進み、これからだ、という人におすすめだ。

公訴時効廃止、冤罪増えないか心配

 殺人罪などの公訴時効を撤廃する刑事訴訟法改正案が参議院で可決された。

 刑事事件における時効の存在理由は大きく分けて3つあると考えられている。

(1)実体法説
犯罪を犯しても、ある程度時間がたったら被害者・社会の処罰感情が薄れる。また、犯人も長い間捕まることに怯えながら過ごした。だから、処罰する必要がなくなる。もう昔の事だから水に流そうや、ということ。

(2)訴訟法説
犯罪発生から長期間経過すると証拠が散逸し、適正な審理ができない。50年前の殺人事件の疑いをかけられて今さらアリバイを証明するなんて無理な話でしょ?ってこと。

(3)新訴訟法説
殺人犯でも長期間逮捕されずに過ごしたことによって築き上げた人間関係や地位などを尊重し、法的安定性を図るべき。


 私としては、(1)実体法説、(3)新訴訟法説は「ふざけるな」と言いたい。実体法説についてだが、ある人物が殺されて20年経過したら、事件と無関係な一般人は事件そのものを忘れてしまうだろう。しかし、遺族はどうだ?昔の事だから水に流そうと考えてくれるだろうか。大根泥棒ならそれで済むだろうが、家族を殺されてそこまで寛大になれる人は少ないだろう。長期間、捕まることを恐れながら暮らしたことが刑罰の代わりになるって話も理解できない。殺人の場合、悪質ならば死刑もあり得る。それだけの罪を20年間の逃亡生活で「償った」と考えることは出来ない。
 新訴訟法説についても、例えば何十年も前に万引きをして、その時は警察から厳重注意を受けただけで済んだけど、今さら起訴されて有罪判決を受けるのは気の毒だ、という話なら理解できる。しかし、自分の意思で逃げ続け、「今さら捕まえるなんてあんまりだ」という主張には耳を貸せない。

 (2)訴訟法説についても、検察視点で考えれば、時が経つにつれて立証は難しくなるが、DNA鑑定などによって大昔の犯罪でもある程度立証できるようになった。期間で区切らず、立証できるかどうかで有罪無罪を判断すればよいと言えるだろう。
 しかし、被告人の立場で考えると、何十年も前に自分が犯罪を犯していない証拠、あるいは、検察の主張に反論できるだけの根拠を見つけることは困難だ。刑事裁判において立証義務を負うのは被告人ではなく検察官だ、というのはもはや建前に過ぎない。わずかに発生している無罪判決は被告人・弁護人の必死な立証活動によるものだ。冤罪を防ぐためにも、ある程度の期間で区切って、それ以降の起訴はできない制度は必要ではなかろうか。



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時効撤廃が参院可決 月内にも成立、来月施行へ
2010.4.14 10:28
 参院本会議は14日午前、殺人罪などの公訴時効の撤廃を盛り込んだ刑法と刑事訴訟法の改正案を、与党と自民、公明両党などの賛成多数で可決した。参院先議の同改正案は衆院に送付されて16日に審議入りし、早ければ今月中に可決、成立し、5月の大型連休明けにも施行される見通しとなった。

 同改正案は、強盗殺人や殺人など最高刑が死刑に当たる犯罪に時効(現行25年)を撤廃する。また、最高刑が無期懲役・禁固の強姦致死罪などは現行15年を2倍の30年に、有期刑の上限である20年の懲役・禁固の傷害致死罪などは10年を20年にそれぞれ延長される。

 改正法施行時に時効が成立していない過去に未解決事件にも、時効廃止や期間延長が適用される。

 これまでの審議の中では、捜査の長期化や事件発生から長い時間を経ることで、証拠の散逸や記憶が不確かな状態での関係者証言など、冤罪(えんざい)を生みかねない状況への懸念が指摘された。

 同改正案は犯罪被害者の遺族感情に配慮し、旧自公政権時代に法務省がまとめた内容に沿っている。民主党内は、事件ごとに判断して時効を中断する案を昨年の衆院選前の政策集に掲げており、党内には今回の改正案には疑問の声も残っている。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100414/plc1004141031009-n1.htm

受信料訴訟、NHK敗訴

 妻がNHKと受信契約を締結したが受信料を支払わず、NHKが夫に受信料を請求した訴訟で、NHKが敗訴した。これは予想外だ。


北海道新聞
受信料訴訟でNHKの請求認めず 札幌地裁 (03/19 14:33)

 衛星放送の受信契約を結んでいるにもかかわらず、受信料を支払わなかったとして、NHKが札幌市の会社役員男性に未払い分の支払いを求めた訴訟の判決が19日、札幌地裁であった。杉浦徳宏裁判官は「男性が契約をした妻に代理権を与えておらず、取引を保護する民法の適用はない」として、NHKの請求を棄却した。NHKが受信料の支払いを求めた申し立てをめぐる地裁判決は2件目。NHKの請求を退けた判決は簡裁27件を含めて全国で初めて。

 判決によると、男性の妻は2003年2月、NHKと衛星放送の受信契約を結んだが、男性は同年12月以降、支払いに応じず、08年3月まで52カ月分約12万2千円の受信料が未払いとなっていた。男性側は「妻が勝手に受信契約を結んだ。食料購入などの日常家事については、妻の契約に対し、夫も連帯して支払い責任を負うが、受信料は、商品の対価として支払うものではなく、民法の定める支払い義務にはあたらない」と訴えていた。



 民法第761条はこのように規定している。
「夫婦の一方が日常の家事に関して第三者と法律行為をしたときは、他の一方は、これによって生じた債務について、連帯してその責任を負う。ただし、第三者に対し責任を負わない旨を予告した場合は、この限りでない。」

 テレビの受信に関する契約は「日常の家事」に関するものだと思っていたが、札幌地裁は「商品の対価として支払うもの」でないという理由で否定したようだ。

 ところで、判決文はまだ見ていないから断定は出来ないが、NHKは夫婦間の日常家事債務の連帯性が否定された場合に備え、予備的に、夫がテレビを設置したことによる受信料請求も行っているだろう。NHKが敗訴したということは、この請求も認められなかったのかな。
 もしそうだとすれば、「受信料の支払いは法的な義務です」という長年のNHKの主張が裁判所によって否定されたことになる。これはNHKにとって一大事だな。


 この裁判の判決文は是非読んでみたい。そろそろ被告などからWebにアップされてないかな。


追記

民法761条の適用について毎日新聞の記事が判決を詳しく紹介している。

 裁判は妻の結んだ契約の効果が男性に及ぶのかが争点になった。NHK側は「日常生活に不可欠なテレビ放送に関する契約は夫婦が連帯して責任を負う」と主張。しかし、杉浦裁判官は「受信料が国民から徴収される特殊な負担金で、放送の対価として払われるものでない」と指摘。「物品の売買とは違い、取引の第三者を保護する民法の適用はない。また、男性が妻に代理権を与えた事実もない」と判断した。
http://mainichi.jp/hokkaido/shakai/news/20100320hog00m040004000c.html


 例えば、専業主婦が後払いで米を買ったとする。米屋としては、普通なら無職の人間に後払いで物を売ったりしないが、稼ぎのある夫がいる主婦なら、最終的に夫の負担で代金を回収できると期待するから後払いで米を売ることが出来る。
 民法761条は、この米屋の「期待」を保護するためにある。もし夫が米代を払わないと事前に分かっていたら米を売らなかっただろう。
 もし、この法律が無く、米屋が夫に対して代金を請求できず、妻にも支払い能力が無かったら、売った米の分だけ損害がでる。そうなっては、米屋は妻にツケで米を売らなくなり、生活が不便になる。(昔はツケ払いが頻繁に行われていたらしい)
 では、NHKの場合はどうか。NHKは放送電波を流す対価として受信料を受け取るわけではない。もし、夫が受信料を払わないことが事前に分かっていたとしても、妻との間で受信契約を結ばない理由にはならない。それなら、民法761条でわざわざ保護する必要は無いということだ。

 判決文全文を読んだわけではないが、おそらくそういうことだろう。

外国人参政権は違憲

 民主党が推し進めている外国人参政権についてだが、私は反対です。

 理由はいろいろある。日本という国が乗っ取られる云々は私も同意見であるが、それはすでに多くの方が主張していることなので、ここでは憲法に焦点を当てて私の考えを述べようと思います。

 日本国憲法にはこのように書かれています。


第15条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
3 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
4 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。




 選挙権は「国民固有の権利」なのです。その他の「国民」に対して認められている人権、例えば25条の生存権などを外国人にも認めることは許されることです。外国人に生活保護を与える事が違憲だとは言いません。(もっとも、外国人に生活保護を与えないことが違憲とも言わない。外国人に国民対象の権利を認めるかどうかは国会の判断に委ねるべきという意味です。)
 しかし、日本国憲法で唯一「国民固有の権利」と定められた選挙権を外国人に認めることは重大な憲法違反です。

 よく、外国人参政権付与を最高裁が認めている、という人がいます。最高裁平成7年2月28日判決のことです。

 この裁判はもともと、大阪に住む在日韓国人が選挙に行けず、それを違憲だと訴えた裁判なのですが、最高裁は、外国人には参政権は保障されていないとし、訴えを退けました。しかし、傍論で「法律で地方参政権を認めることは違憲ではない、どうするかは国会が判断すべき」と言っています。

 判決文は、数行で現される極めてシンプルな「主文」と、数十行あるいはA4用紙数十枚相当の分量の「理由」で構成されています。この「理由」のうち、「主文」の結論を導く上で必要の無い部分が「傍論」と呼ばれており、傍論に法的拘束力はありません。人によっては「傍論」を書くことは法律違反になるとさえ主張しています。

 問題の判決は傍論で「外国人に選挙権を認めても合憲だ」と言っているわけですが、憲法第15条1項の「国民"固有"」という規定を見落としているとしか思えません。「国民」を対象とした他の人権規定は外国人に認めても「国民」の権利が侵害されるわけではないから外国人に認めても問題は小さいですが、選挙権は違います。外国人が選挙に参加したら、国民が持つ票の割合が減ります。もし外国人が多数の人口を占める自治体があれば、その自治体に住む国民はその自治体のリーダーを選ぶことが出来なくなります。そんなことを避けるために、憲法15条では唯一「国民固有の権利」という言葉が使われているのです。

 もし、外国人に参政権を付与することが合憲なのだとしたら、なぜ「国民固有の権利」という言葉が使われているのでしょうか?「固有」にはどういう意味があるのでしょうか?それとも、意味もなくそんな言葉を使っているのでしょうか?
 だれか説明できる人いますか?



 このように、外国人に参政権を付与することは違憲であると述べましたが、違憲は違憲でも、やっていい違憲とやってはだめな違憲があると私は思います。

 私は、今のような自衛隊を持つことは違憲だと思います。憲法違反の前例を作ったらその憲法は権威を失い、違憲行為を行うためのハードルが低くなるので、立憲主義を守るためには憲法を改正し自衛隊の存在を認めるか、あるいは、自衛隊を廃止する必要があります。しかし、憲法改正は脳内お花畑サヨクが反対して困難ですし、自衛隊を廃止したら日本国の独立を維持することが困難になります。こういう、やむを得ない違憲行為は私としても仕方が無いと思いますが、外国人参政権にそういったやむを得ない事情は全くありません。せいぜい、民主党が在日韓国人から選挙で支援を受けることが出来なくなる程度のことです。

 そんな理由で違憲行為を行うなど、私は絶対に反対です。



 さて、皆様。もう一つ紹介したい憲法の条文があります。

第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。


 憲法が定める権利を守ることは国民の義務でもあるのです。国民の不断の努力によって、これを保持しなければならないのです。

 民主主義の基本である国民の参政権が今、脅かされています。私は、一人でも多くの方に、外国人参政権付与に反対していただきたいと思います。




参考サイト
外国人参政権に反対!なら…外国に国を乗っ取られた実例を紹介。
livedoorのBLOGOSにも掲載。

傍聴に行ってきた

 京都地裁に傍聴に行って来ました。もうすぐ京都でも裁判員裁判が始まるので、重大事件の第一審では裁判官だけの裁判はもう見納めだと思い、今のうちにと殺人事件とかないかと思って行ってきました。

 裁判所到着は11時。殺人は無かったが、死体遺棄・保護責任者致死事件がある。たぶん、裁判員対象となる事件だ。時間は10時から16時までとかなりの長丁場。裁判員裁判を見越しての集中心理だろうか。

 法廷に入るとすでに審理は始めっていた。女性が弁護士から質問を受けてる。
 ちなみに、この事件の被告人は藤澤真由美。調べたところ、朝日新聞が報道していた。


乳児の遺体、自宅に放置容疑で両親逮捕 京都府警
http://www.asahi.com/national/update/1102/OSK200811010137.html
朝日新聞2008年11月1日配信

 京都府警五条署は1日、死亡した乳児の遺体を自宅内に放置していたとして、母親の無職藤沢真由美容疑者(30)=京都市中京区新町通錦小路下ル小結棚町=と、父親の会社員長谷章宏容疑者(47)=同=を死体遺棄容疑で逮捕したと発表した。

 調べでは、両容疑者は4月に生まれた男児がその後死亡したのに、死亡届などを出さず、自宅のマンション室内などに遺体を放置した疑いが持たれている。司法解剖の結果、男児は5月に死亡したとみられる。

 同署によると、藤沢容疑者は出生届を出さないなど言動に不審な点が多く、市の児童相談所職員が再三接触を試みたが、うまくいかなかったという。10月31日に同所職員と警察官が自宅に立ち入ったところ、室内で男児の遺体を見つけたという。藤沢容疑者は「母乳を次第に飲まなくなって亡くなった」「死んだとは思っていない」などと話しているという。



 途中から入ったので何が議論されているのかよく分からなかったが、聞いていくうちに、母親が生まれたばかりの赤ん坊の具合が悪いのに病院に連れて行かず、その赤ん坊は「一般的な意味で」死亡した。死後は届けを出さず、マンションに放置していた。
 弁護士が質問する時に言っていた「一般的な意味で死亡」って何かな。ひょっとして、変な宗教にハマっていて、その信仰に従う被告人は「まだ生きている」と主張しているのかな。以前、そんな事件があったな。そんな事を予想しており、それはおおむね正解だった。

 被告人によれば、この世には悪霊がたくさんいるらしい。特に京都は歴史が古く、魑魅魍魎の世界だそうだ。その霊はかつて被告人の母を利用し、被告人をいじめていたという。妊娠が分かり、一応、被告人は病院に行こうとしたらしい。しかし、それは赤ちゃんの健康のためではなく、「この世界」ではそれが普通・ルールだからだという。被告人の認識によれば、赤ちゃんは健康に生まれてくるのが当然であり、もともと病院に行く必要性は無いと思っている。
 しかし、京都には魑魅魍魎が蔓延っている。その霊は被告人を攻撃するのだ。他人に助けてもらおうにも、「霊の世界」を理解している人しか助けることは出来ない。夫は「霊の世界」を理解しているが、被告人とその子供に襲い掛かる悪霊どもと戦っている最中なので、助けを求めることは出来ない。

 そして、大した準備をすることなく破水し、救急車で京都第二赤十字病院に搬送される。

 退院後はミルクを1日50ccくらいを与えていたらしい。これが多いのか少ないのかは分からなかったが、こちらのサイトによれば80〜100ccが適正だそうだ。もっとも、個人差はあるだろうし、50ccでゲップしたと言っているからこの子に関してはこれが適正かもしれない。
 被告人の認識によれば、子供の成長にとってミルクは大して重要ではなく、「この世界」ではそうなっているから、という理由で飲ませていたらしい。宗教なのか何なのかよく分からないが、「この世界」の常識を拒絶するほどの過激思想でないのが救いだ。

 ところが、生後1ヶ月くらいで具合が悪くなり、ミルクを飲まなくなる。これは霊が子供を攻撃しているからであり、子供が泣くのは霊と戦っている証拠だそうだ。病院には行かなかった。霊の攻撃により被告人は動けないし、そもそも「霊の世界」を分かっていない医師が形式的な治療をし体をいじり回したらかえって悪化するからだ。そんなわけで子供は死亡。

 しかし、被告人とその夫は火葬には否定的だ。火葬は腐敗する人間の醜い姿を見なくて済むためのものであり、愛する子供にそんなことしたくなかったらしい。それでマンションに置いていたのだが、見つかって逮捕。

 審理では、被告人の考える「霊の世界」についての細かい質問が中心だった。「病院に行ったら悪化すると考えているのに何故出産時には病院に行ったのか」など。検察官も裁判官も真剣にそれを聞いている。

 理由はよく分からないが、おそらく、被告人が「霊の世界」を本気で妄想しているのか、あるいは責任逃れでそのような世界観をでっち上げているのかを見極めているのだと思う。本気の妄想なら、被告人は病院に行かせる必要が無いと思ったから病院に連れて行かなかったのであり、たぶん、保護責任者遺棄致死罪は成立しなくなる。でも、客観的に考えると病院に行かせることは必要であり、その判断を誤ったことについて過失があるから過失致死罪が成立する。保護責任者遺棄致死に比べ過失致死ははるかに刑が軽い。←このへんはちょっと自信無い。


 この裁判は5時間かけて傍聴して正解だったな。

NHKの実質敗訴では 受信料裁判

受信契約を締結したのに受信料を払わない者に対しNHKが未納分約16万円を請求した裁判の判決が出た。
裁判ではNHKの請求が認められたが、報道されている判決理由を読んでみるとNHKの実質敗訴ではないかと思える内容だ。


NHK受信料:未納の被告に全額支払い命令…東京地裁判決
 放送受信料の支払いを拒否した東京都内の30代と40代の男性2人に、NHKが未納分計16万6800円を請求した訴訟の判決で、東京地裁は28日、2人に全額の支払いを命じた。2人は「政治的介入を許したり、受信料の不正流用を行うNHKに受信料を支払うのは、思想良心の自由を定めた憲法に反する」と主張したが、綿引穣裁判長は「2人は元々自由意思で契約を交わした。(契約継続も)放送内容や経営活動を是認するよう認識の変更を迫るものではない」と合憲判断を示した。

 2人の弁護団によると、受信料を巡る憲法判断は初めて。30代男性は控訴する方針。NHKによると、不払いを巡る訴訟は計169件起こされ、今回の訴訟を含め11件が係争中で地裁判決は初めて。

 判決は、NHKを巡る問題を理由に受信料を支払いたくないとする2人の主張を「一つのものの見方として尊重されなければならない」とした。しかし(1)本人や家族が02〜03年、自主的に契約を交わした(2)04年3月まで支払いを続けた(3)解約には受信機の廃止が必要だと事前に知り得た−−などから「(契約や契約継続は)2人の思想良心の自由を侵害していない」とした。

 2人は「支払いを免れるには受信機を廃止しなければならず、民放の視聴を妨げられ、知る権利を侵害され違憲だ」とも主張した。判決は「放送法はNHKの放送を受信できる受信機の設置者に受信料支払いを強制している。民放の視聴を妨げる規定ではない」と述べた。2人は04年4月〜09年3月、計60カ月分の料金を請求されていた。【伊藤一郎】





>判決は「放送法はNHKの放送を受信できる受信機の設置者に受信料支払いを強制している。民放の視聴を妨げる規定ではない」と述べた。

私も馬鹿みたいな事を言っている裁判官が存在することは知っているが、この判決文を見る限りでは、テレビの設定変更でNHKの受信を不可能にしたら受信契約締結義務は無いということになりそうだな。そうでないと、受信契約を締結していない人の民放視聴を妨げることになる。
これは、NHKが今まで言ってきたことと真っ向から反する。

また、
>判決は、NHKを巡る問題を理由に受信料を支払いたくないとする2人の主張を「一つのものの見方として尊重されなければならない」とした

さらに、「本人…が…自主的に契約を交わした…から…思想良心の自由を侵害していない」としている。この論理でゆけば、NHKが市民に契約締結を強制することはできない。

もっとも、今回の裁判はすでに受信契約を締結した人を相手にしたものであり、契約していない人の契約締結義務については直接的な言及はなさそうだ。また、時として明らかな矛盾を抱える判決も存在する。だから、NHK受信契約締結義務は強制ではないと裁判所が判断するとは断定できないは、今回の判決はそれを強く示唆するものであるように思える。


まだ裁判所サイトでは判決文は公表されていないが、早く読みたい。



追記

裁判所サイトではまだ判決文は公開されていないが、別のサイトで公開されているので紹介する。

http://list.jca.apc.org/public/cml/2009-August/000883.html

ガチャポン誤飲訴訟 ネット上の世論の大勢

この記事はツカサネット新聞に投稿したものである。




「ガチャポン」「ガチャガチャ」と呼ばれる玩具入りカプセルを男児(当時2歳10ヶ月)が誤飲し、重度障害を負った事故について、両親がカプセル製造元のバンダイナムコゲームスに対し損害賠償を求めた訴訟で7月3日に和解が成立した。

報道によると、裁判の経過は以下のとおりである。2002年8月、男児が自宅で直径40ミリメートルのプラスチック製球状カプセルを誤飲してのどに詰まらせ窒息状態となり、全身に麻痺が残り寝たきり状態になった。両親は製造物責任法(PL法)に基づき製造元に対して1億800万円の損害賠償を求める訴訟を提起した。鹿児島地裁は損害額を7954万円と認定し、両親が事故防止の注意義務を果たしていないとして製造元の責任を3割とし、約2626万円の支払いを認めた。双方が控訴し、2009年7月3日、福岡高裁で和解が成立した。和解金額は明らかになっていないが、両親側代理人弁護士は「判決後にカプセルの通気孔の数を増やすなど再発防止策を講じており、誠意ある対応をしてもらったので和解に応じた」と話している。

 ここで、この事故・裁判に関するネット上の世論を紹介したい。もっとも、「世論」と言っても、私が調べたのはあくまでインターネット上で表明された一般人の意見である。おそらく、ネット環境が整っている程度に生活に余裕があり、ネットに自己の意見を書き込める程度に時間に余裕があり(子育てに忙殺されているわけではない)、PC操作が可能で(高齢者は少ないだろう)、社会問題に関心があり、ニュースを読んで何か言いたいと思っている(判決・和解に不満を持っている)といった属性の人が調査対象の中心であると思われるので、日本国民全体の世論とここで紹介する「ネット上の世論」は異なる可能性があるが、その点についてはご了承願いたい。


 ネット上で表明された意見の大部分は、事故の全責任は両親にあるとし、このような訴訟を提起した両親に批判的だ。これが大体8割くらいを占めている。一部には、親がわざと子供ののどにカプセルを突っ込んで賠償金をせしめたという書き込みもあった。
 製造元への批判は大きく二つに分かれる。一つは、子供向けの玩具に誤飲による窒息の危険があったことだ。これは批判というよりも、第一審判決・和解は妥当だというものである。大体1割くらいだ。
もう一つは、こんな不当な裁判を起こされたのに徹底的に闘わず和解に逃げたことへの批判だ。これでは、自分の不注意を棚に上げて企業や保育所に裁判を起こす「モンスターペアレント」を増長するというものである。

また、第一審判決が出た段階で、「世論調査.net」というサイトでこの判決についてのアンケートが実施された。
http://www.yoronchousa.net/result/4202

質問文(一部抜粋)
この判決について、以下の質問にお答えください。
(1)判決は妥当だと思いますか?不当だと思いますか?
(2)今回の事故でより大きな責任があるのはメーカーと保護者のどちらだと思いますか?
(3)ガシャポンカプセルの大きさを見直すべきだと思いますか?


(1)の質問に対し、「判決は妥当」と回答したのは10.37%(59人)、「判決は不当」は71.18%(405人)、「わからない・どちらとも言えない・その他」は11.78%(67人)だった。第一審は製造元の責任を一部認めたが、一般人の大部分は両親に全責任があると考えているようである。

製造元に責任は無く両親が悪いと主張する人の一部はこんにゃくゼリー規制にも言及している。何でも他人のせいにしようとし、規制を強めようとする風潮に批判的だ。

 ただ、書き込みを見ていると、両親の責任を主張する人は、第一審は製造元に全責任があるとする判決を下したと思い込んでいる人も多いようだ。実際は、製造元に3割、両親に7割の責任があったと認定している。その誤解が判決あるいは両親への批判的な気持ちを強めている可能性もある。

 以上が、今回の事故・裁判における「ネット上の世論」の概観だ。

 さて、裁判員裁判がもうすぐ始まろうとしている。裁判員制度導入の理由の一つに「国民の健全な常識を司法に取り入れる」というものがあるが、では「国民の健全な常識」とは何か。
 今回は民事事件であるが、裁判官と一般市民との考え方の違いが浮き彫りになったと思う。これからも、裁判官と一般市民との感覚の違いを示す事件があれば紹介しようと思う。

足利事件 責任は当時の最高裁裁判官にあるのでは

1990年に栃木県足利市のパチンコ店で4歳の女児が行方不明となり、付近の河川敷で遺体となって発見された足利事件の被告人、菅家利和氏が釈放された。

被告人を犯人とする最大の証拠は、女児の下着に付着した精液と被告人の血液のDNAが一致したことだった。しかし、当時の技術では800人に1人の割合で同一の型だと判断される程度の精度で、後に弁護側が調べなおしたところ、被告人と精液のDNA型は違うという鑑定結果が出た。

しかし、上告審で最高裁は、検察側の鑑定結果と被告人の自白は信用できるとして、2000年、無期懲役が確定した。


この事件では、被告人は逮捕後に自白を強要され自白し、第一審途中まで自白を維持し、後に無実を主張した。しかし、弁護団は自白を維持し情状酌量を狙うことを強要し、第一審では自白していたようだ。


こういった経緯の事件だが、現在のところ、自白を強要した警察側を批判する論調が強く、取調べの可視化を求める根拠にされている。私も、被疑者に自白を強要するのは良いことだとは思わないが、この足利事件で冤罪を生み出した一番の責任者は上告審時の最高裁裁判官ではないだろうか。当時からDNA鑑定は完全ではないと言われていたし、弁護側は下着と被告人のDNA型が一致しないという鑑定結果を出した。それなのに、検察側の鑑定結果のみを採用し、上告を棄却したのはおかしいと思う。




足利事件関連リンク
足利事件に関して、「勇気」ということ - 矢澤豊

インチキ本著者に賠償命令

 「100%の勝率」とうたった「FX常勝バイブル」という本を真に受けてFX取引に手を出し、大損した人が著者に損害賠償を請求し、1審で勝っちゃったらしい。


日経新聞から引用

FXでの損失、指南書著者に賠償命令 東京地裁
 「100%の勝率」などとうたった外国為替証拠金取引(FX)の指南書「FX常勝バイブル」を購入して取引を始めた男性が「約180万円の損害を被った」として賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は16日、指南書の著者と、指南書が紹介していたFX業者などに計約100万円の賠償を命じた。小原一人裁判官は「100%の勝率はありえない。誤った情報提供で取引させた」と指摘した。

 原告の弁護士によると、指南書が紹介するFX業者の損害賠償責任を認めた判決は初めてという。(07:00)

http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20081017AT1G1603F16102008.html



 こういう請求が通るとは驚きです。

 あと、指南書が紹介していたFX業者も責任を負うということになっていますが、この業者にはどんな問題があったのでしょうか。著者と業者がグルだった、などの背景事情でもあるのでしょうか。

 この裁判は気になります。

配当金を被害額から差し引かない最高裁判決は不当だ

6月25日、偽りの投資話で2200万円をだまし取った事件の損害賠償請求訴訟で、最高裁は加害者が被害者に払った配当金200万円を被害額から差し引くべきではないとする判決を下した。

被害者は2200万円を払い、配当金として200万円を受け取ったから、実質的な損害額は2000万円である。

しかし、「反倫理的行為により損害を受けた一方で利益も得た場合には、この利益を損害賠償請求における損害額から差し引くことは許されない」とする6月10日の五菱会闇金融事件最高裁判決を引用し、配当金を損害額から差し引いた二審判決を破棄した。

このような考え方は被害者保護のためにマイナスに働くだろう。
投資詐欺やマルチ商法などでは、早いうちに加入した(引っかかった)者は多くの利益を得て、事業が破綻寸前に加入した者は配当金を得られず大損することが多い。それを考慮せずに払った金額を損害額として認定すれば、被害者間に有利不利が生まれる。なぜなら、加害者は受け取った金を配当金やその他に使っており、被害金額のすべてを賠償できないことが多いからだ。払った金のすべてを賠償金として得ることができないのに、配当金の多い少ないに関わらず払った金額に比例して賠償金を得ることになれば、最初に加入して多くの配当金を得た者に有利になり、ほとんど配当金を受け取っていない者に不利になる。
例えば、100万円の投資詐欺に引っかかった人が3人いたとしよう。1人目の被害者は2人目、3人目が払ったお金から配当金を100万円受け、2人目は50万円、3人目は10万円の配当金しかもらえなかったとする。実質的な損害額は1人目0円、2人目50万円、3人目90万円となる。今回の判決に従えば、この3人が裁判を起こせば、加害者からそれぞれ100万円ずつ、合計300万円取れることになる。しかし、加害者はすでに160万円を配当として払っており、他にもいろいろお金を使っていて、加害者の手元には90万円相当の資産しかないとしよう。そうすると、被害者は賠償金300万円の判決を得ても実際には90万円しか受け取ることができず、それを3等分して一人当たり30万円を得ることができる。すでに受け取った配当金を合わせれば、1人目は30万円の利益、2人目は20万円の損失、3人目は60万円の損失となる。このような賠償金の分配は不公平だ。実質的な損害額に比例し、全く損をしていない1人目は0円、50万円損をした2人目は32万1428円、90万円損をした3人目は57万8571円の賠償金を得るとしたほうが公平だ。

今回の判決は一見すると被害者に有利なように見える。しかし、裁判で認められた賠償額を全額得ることが困難であるという現実を考えると、配当金を損害額から差し引かないとする今回の最高裁判決は被害者間に不平等な状態を生み出し、不当であると私は考える。


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疑われたら走って逃げろ?−痴漢冤罪対処法に行列弁護士が答える

 4月27日放送の「行列のできる法律相談所」で、電車の中で痴漢に間違えられたらどう行動すべきか、というテーマで4人の弁護士が意見を戦わせた。

 すると、4人のうち、北村弁護士と本村弁護士は「走って逃げる」が最適と答えた。北村弁護士によると、痴漢と疑われた時点で数十日も拘留され、その間に仕事はクビになり、裁判でも無罪になることは極めて難しい。だから、一か八かで走って逃げ、それ以降は通勤ルートを変えた方が良いということである。反対意見の菊池弁護士も「走って逃げろというアドバイスは非常に傾聴に値するものだと思います」と述べている。島田紳介も「(弁護士から走って逃げろという答えが出ることは)この問題がどれだけ根が深いかを表している」とコメントした。

 それに対し、住田弁護士と菊池弁護士は「裁判で無実を証明すべき」と。住田弁護士は、逃げたら「悪いことをしたから逃げた」と思われ心証が真っ黒になる、疑われたら近くに乗っていた人にも一緒に降りてもらい位置関係を証明できるようにすべき、マジメな人で前科前歴が無かったら検察にとって起訴することは難しいと答えた。

 痴漢冤罪が大きな社会問題となり、疑われたら無実を証明することは困難だということは知っていたが、まさか弁護士が「逃げろ」と言うとは。それほど事態は深刻だったのかと改めて感じさせられた。

 ちなみに、痴漢に疑われた時の対処法について、私見では、逃げるのは得策でないと思う。逃げ切ればいいが、もし捕まったとき、警察や裁判官、職場の人間だけでなく、家族・親戚・友人からも完全に信用されなくなるからだ。逃げずに無罪を主張し続けたら、たとえ有罪となり勤務先に解雇されたとしても、日頃から浮気を繰り返していたといった事情が無い限り、家族・親戚・友人には信じてもらえるだろう。生きていくうえで、それは仕事よりも大切ではないだろうか。

 もっとも、このようなことを心配せずに済む司法を作ることが何よりも大切である。裁判官は女性の証言だけを信用して男性の言い分をほとんど聞かないのが実情であるが、女性が示談金目的で痴漢事件をでっち上げた事件も存在する。せめて、被疑者が否認している事件では、被疑者の手に被害者の下着の繊維や体液が付着しているといった物的証拠を有罪認定の要件とすべきではないだろうか。事件の後被疑者が手を洗っていないことは容易に証明できるだろうし、警察がすべての痴漢事件被疑者の手を検査することも難しくはないはずだ。
 長期に渡る厳しい尋問で自白を強要することや、明確な証拠無しに有罪判決を出す裁判は改めるべきである。

テロリストが「国に準じる組織」か?

4月17日に名古屋高裁で自衛隊のイラク派遣を違憲とする判決があった。判決では、イラクのテロリストを「国に準じる組織」と認定し、そのような組織に対する多国籍軍の武力行使に自衛隊が協力することを違憲としている。テロリストを「国に準じる組織」と考えてよいのだろうか。

憲法9条には「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と規定されている。読み替えれば、「国際紛争を解決するために武力を行使してはならない」ということになる。「国際紛争」とは、「国または国に準ずる組織の間において生ずる一国の国内問題にとどまらない武力を用いた争い」のことである。つまり、国と国との争いを解決するために武力を行使してはいけない、ということである。

政府は、テロリストは「国に準じる組織」ではないとし、テロリストに武力を行使する多国籍軍に協力することは憲法に違反していないと考えていた。しかし、名古屋高裁はテロリストを「国に準じる組織」と認定した。テロリストが海外の勢力からも援助を受け、米軍駐留に反対するなどの政治目的を持ち、相応の兵力を持ち、組織的、計画的に多国籍軍に抗戦しているからだという。

しかし、このような判断は妥当だろうか。ほとんどのテロリストは政治目的の達成のために活動しているだろうし、同じ目的を持つ他国のテロ仲間から支援を受けたとしても不思議ではない。そのような強力なテロリストが組織的、計画的に戦ったからといっても、それをもって「国に準じる組織」とは言えないだろう。「国に準じる組織」は、少なくとも、新政権樹立や旧政権復興を目指して戦う組織のことを指すべき言葉である。米軍駐留に反対だから自爆テロを仕掛けるといった組織が「国に準じる」とは考えにくい。

もっとも、この名古屋高裁判決が違憲と書いたのは傍論部分であり、法的拘束力は無い。原告は違憲判決が出たことで大喜びであり、上告するつもりは無い。損害賠償請求や自衛隊派遣差し止め請求は退けられたため、政府の全面勝訴であり、政府は上告して最高裁の判断を仰ごうにも「訴えの利益」が無いので許されない。したがって、この判決は最高裁で再び審議されることのないまま確定する見通しである。

実質敗訴なのに上訴不可−イラク派遣違憲の矛盾判決

 自衛隊イラク派遣を違憲とする訴訟があり、4月17日に名古屋高裁で判決が行われた。結果は原告敗訴。国側の勝利だ。しかし、傍論では「憲法9条1項に違反する活動を含んでいる」と言っている。原告は慰謝料請求が認められなくても違憲判決が出れば十分なので上告するつもりはなく、国は裁判に勝ったので上告し、最高裁の判断を仰ぐことはできない。こうして、憲法の番人たる最高裁判所の出る余地を残さないまま、下級審で出た違憲判決が一人歩きし、確定判決として残るのである。

 この問題について整理する。自衛隊のイラク派遣に反対する人々が憲法違反を理由に派遣差し止めと慰謝料などを求めて裁判を起こした。訴えは第一審で退けられ、第二審でも結果は同じで、慰謝料請求などは認められなかった。しかし、第二審名古屋高裁の青山邦夫裁判長は裁判結果と関係ないにもかかわらず、判決理由に「多国籍軍の兵員を戦闘地域であるバグダッドに輸送することは武力行使と一体化した行動であり、航空自衛隊の空輸活動はイラク特措法と憲法9条に違反する」と書いた。いわゆる「傍論」「蛇足」である。
 この裁判において最も重要な争点である自衛隊イラク派遣の合憲性については国の主張は認められなかった。しかし、原告には損害賠償を求めるだけの権利侵害が発生していないために、裁判の口実とされた慰謝料請求は認められず、国は勝訴した。原告にとっては、慰謝料などはどうでもよく、違憲判決さえ出れば大満足であり、上告するつもりはない。国にとっては、自衛隊派遣が違憲とされ極めて不都合な判決であるにもかかわらず、表向きには勝訴である。このため、裁判を行うために必要とされる「訴えの利益」が無いとされ、国は上告し、最高裁で争うことが許されなくなる。

 このように、形式上は勝訴でも実質的には敗訴同然であり、形式上勝訴のために上訴できないという事例は他にもある。近年では、小泉首相の靖国神社参拝についての慰謝料請求で福岡地裁は靖国神社参拝に反対する原告の訴えを退けつつ、傍論で違憲とした。小泉首相は自分の行為を違憲扱いされたにもかかわらず、高裁・最高裁の判断を仰ぐことが許されず、靖国参拝違憲判決が確定した。


 このような判決は、三審制度を根本から否定するものである。憲法は81条で「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」と規定している。にもかかわらず、地方裁判所や高等裁判所といった下級裁判所がその権限が無いにも関わらず、違憲判決を実質的に確定させている。これは裁判所による重大な憲法違反だ。

 この問題の背景には、下級裁判所の裁判長の中に必要も無いのに自分の思いを判決に持ち込む人がいるというのもあるが、日本の裁判制度にも欠陥がある。
 日本では、国家・行政による憲法・法律違反を訴えるためには自分に「訴えの利益」があることが必要とされている。だから、首相の神社参拝や自衛隊の海外派遣を訴えるためには、ただ違憲だと主張するだけでは足りず、「訴えの利益」として「慰謝料・損害賠償を払え」などの主張をしなければならない。慰謝料請求が主であり、憲法違反はその理由付けであり従である。
 そして、たとえ国が違憲行為を行なったとしても、損害賠償請求に必要とされる権利侵害が原告に発生していなければ原告の訴えは退けられ、国の勝訴となる。この時にしばしば出てくるのが「国の行為は違憲」とする傍論である。裁判の本来の目的である損害賠償請求の認否には関係無いが、ついでに言っておこうというものである。このような傍論が判決文の中に記されていても、国は勝訴したため、上訴することに「訴えの利益」が無く、上訴して最高裁判所の判断を仰ぐことができない。原告にとっても、最も重要な違憲判決を獲得できたため、上訴しない。

 これは二つの意味で問題である。第一の問題は、実質的に敗訴した側が上訴する権利を奪われることである。原告にとっては3回の裁判のうちどれか一つでも、それが下級裁判所であっても、傍論で違憲とされれば実質的勝訴を得られ、被告にとっては、3回連続で違憲判決を避けないと実質的敗訴となり、裁判が一方に対して不公正なものとなる。
 第二の問題は、損害賠償請求が認められるだけの損害が自分に発生していないと、国の違憲性を強く問えないということである。傍論で違憲判決が出ても、それには法的拘束力が無く、国の印象を悪くするだけで終わってしまう。
 それも大きいことだが、最高裁判所が憲法の番人として機能するためには、国の行為の違憲性それ自体を問えるようにしなければならない。違憲判決が損害賠償請求などあまり重要でない事項のついでに行なわれる現制度は改めるべきである。





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それでもやるか裁判員制度

 裁判員制度を前にして最高裁は、裁判員が残酷な写真などを見て心的外傷後ストレス障害(PTSD)になったときのケアの心配をしているようだが、そこまでして裁判員制度を国民の義務としてやる必要はあるのかな。
 念のためにと裁判員の心のケアの手配をすることには文句は無いが、なるべく裁判員にショックを与えるようなことはしない方がいいと思う。検察官弁護人の同意の上で証拠写真に細工をするとか、あんまり酷い事件には裁判員を入れないとか、そういう配慮は考えてもらえないだろうか。
 それと、これはよく言われることだが、最初は泥棒とか詐欺とかもうちょっとマイルドな事件で実験してみて、その上で凶悪犯罪でもやるという手順の方がいいと思う。


惨事件審理、裁判員に「心のケア」…最高裁が方針4月13日3時7分配信 読売新聞


 来年5月に始まる裁判員制度に向け、最高裁は、悲惨な事件の審理を担当した裁判員の「心のケア」を行うため、24時間体制の無料の電話相談窓口を開設する方針を決めた。

 殺人事件などの審理で、遺体の写真などを見て精神的なショックを受けた裁判員のケアが大きな課題となっていた。最高裁は「いざという時の相談先を確保することで、裁判に参加する市民の不安を軽くしたい」としている。

 裁判員裁判の対象となるのは、殺人や強盗致死などの重大事件。刑事裁判では、検察側の冒頭陳述や被害者の証人尋問などで、残忍な犯行場面が再現されたり、遺体の解剖写真や傷口の写真が証拠として示されたりすることがある。

 こうした事件を審理する裁判員の中には、ショックを受けて精神的な変調を訴える人が出てくることも考えられる。実際、模擬裁判に協力した企業からは「社員が心的外傷後ストレス障害(PTSD)になって職場復帰できなくなるような心配はないか」といった不安の声も上がっていた。



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裁判の傍聴に行ってきた

 ゼミの課題に裁判傍聴レポートがあったので、京都地方裁判所に傍聴に行ってきました。
 前日からの忘年度会と徹夜カラオケのため、起床は昼過ぎ。裁判所に到着したのは4時ごろ。その時間から間に合う裁判を探して、たまたま入った法廷が結構すごかった。事件は強制わいせつ。よくありそうな事件だが、テレビカメラが2台入っており、傍聴席はほぼ満席に。
 この日は判決で、判決を聞けば事件の概要と結果が分かる。被告人が法廷に入る。年は自分と同じく20代前半といったとことか。被告人上村拓は捜査段階では容疑を認めたが、裁判では否認。自白したのはアカガワ捜査官の暴行のためと主張していたらしい。否認事件は日本では少ないから、初めての刑事裁判傍聴で見ることができたのは運がよかったのかもしれない。と書けば不謹慎だろうが。
 判決文を聞いていると、どうやら、被害者は太ももなどを触られたが犯人の顔を見ていないらしい。その代わり、犯人の強烈な体臭は覚えていたそうだ。そして、被告人はホームレス状態で、同じ臭いがしたという。
 しかし、被告人は「女性の悲鳴が聞こえたから近づいて警察に付き添った」として容疑を否認。もし犯人なら、普通もう一度その女性に会おうとは思わないだろう、逃げたほうが捕まりにくいだろう、と私は考えた。

 裁判所は臭いの証言を証拠に採用し、被告人は懲役2年執行猶予4年の有罪判決。でも、臭い人は他にもいるかもしれないだろう。それだけでは証拠としては弱くないかな。この判決に至る審議を全く聞いていないからどうなっているかは知らないが、「汗臭いからお前だ」くらいに乱暴な事実認定だと感じる。
 判決を言い渡されて、被告人はどことなくほっとした表情を浮かべているように見えた。同じ有罪でも刑務所行きとそうでないのとでは大きく違うだろう。


 家に帰って、この事件について何か報道があってないかと思い、いろいろ調べてみると、なんと、この被告人は自衛官ではないか。どうりでテレビが来ているわけだ。同じ痴漢事件や船舶事故でも、自衛隊絡みとそうでないのとではマスコミの扱いは大違いだからな。

 さて、傍聴レポートのネタはできたと。あとは、社会に影響を与えた裁判についてのレポートか。何にしようかな。危険運転致死傷罪が適用されるかどうかでもめた事故があったから、それにしようかな。
 



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刑法244条の例外

 未成年後見人として孫の財産を管理する祖母が孫の財産を横領したとして、最高裁は祖母に有罪判決を下した。この事件では、直系親族間の窃盗横領などの刑を免除する刑法第244条が未成年後見人にも適用されるかが争われていたが、最高裁は「未成年後見人は公的性格を有しており、刑は免除されない」との初判断を下した。

参考記事:孫の財産着服した後見人、親族でも刑免除せず…最高裁が初判断(2008年2月20日23時14分 読売新聞)



刑法
第244条 配偶者、直系血族又は同居の親族との間で第235条の罪、第235条の2の罪又はこれらの罪の未遂罪を犯した者は、その刑を免除する。

第255条 第244条の規定は、この章の罪(業務上横領など、括弧筆者)について準用する。



 泥棒は悪い、というのは当たり前の話だが、日本には、親族間の財産犯を不処罰にする規定がある。つまり、親や息子、祖母や孫の物を盗んだり横領したりしても、その道徳的評価はともかく、刑法は関与しないということだ。
 このような規定の背景には、「法律は家族の問題に関与せず、家族内で解決すべし」という考え方がある。昔は、財産は家長が所有するもので、親族間の窃盗=子が親の物を盗む、というのが一般的であり、逆はあまり考えられなかった。このような子への処罰は親がやるべきもので、国家が口出しすべきでない、というわけだ。

 しかし、この事件では、親の死によって保険金を受け取った子の財産を未成年後見人の祖母が叔父夫婦の生活費などに約1540万円を流用した。未成年という社会的弱者が被害に遭っているのに不処罰というわけにもいくまい。最高裁は「後見人は財産を誠実に管理する法律上の義務を負い、その業務は公的性格をもつため、処罰は免れない」と決定した。

 しかし、義務を負っているからといって、その義務違反に民事はともかく刑事罰を課すためには明確にその旨を法律で規定しなければならないというのは罪刑法定主義の大原則だ。近代刑法は権力者による刑罰権の濫用を防止するために、法律で明確に定められている場合にのみ刑罰を課すというルール、罪刑法定主義を重視している。悪いことでも法律に書いていなければ処罰することはできないのだ。これは現在、憲法上の要請とも考えられている。

 今回の最高裁の判断は、罪刑法定主義に反しないのだろうか。

 私は、この横領した祖母が処罰されること自体には異論はないが、法律に反した刑罰が認められたという点で大いに疑問に感じる。

時効成立認めず

殺害行為への賠償責任認める…東京・足立の時効殺人訴訟
 1978年に東京都足立区立小の女性教諭・石川千佳子さん(当時29歳)を殺害して自宅の床下に埋め、殺人罪の時効成立後の2004年に自首した元警備員の男(71)に対し、遺族が損害賠償を求めていた訴訟の控訴審判決が31日、東京高裁であった。

 青柳馨裁判長は「民法上の時効を適用するのは著しく正義・公平の理念に反する」と述べ、殺害行為に対する賠償責任を認めた。その上で、男が遺体を隠し続けた行為に限って330万円の賠償を命じた1審・東京地裁判決を変更し、約4255万円の支払いを命じた。

(2008年1月31日16時00分 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080131-OYT1T00456.htm?from=main4



 この事件は、20年以上前の殺人事件の加害者に被害者が損害賠償を求めたが、加害者側は時効を主張し、時効成立を認めるかどうかが争点となった。
 第一審では、20年以上前の殺人による賠償は認めず、提訴の20年前から自首するまでの期間遺体を隠していたことについてのみ損害賠償を認めた。遺体はつい最近まで隠していたので時効にはならないから、遺体を隠して遺族に苦痛を与えたことの損害賠償は認めたが、殺したことへの損害賠償は認めなかったのである。だから、賠償金も330万円と安い。
 しかし、第二審では、殺人についても損害賠償を認めたのである。


第724条
不法行為による損害賠償の請求権は、被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知った時から三年間行使しないときは、時効によって消滅する。不法行為の時から二十年を経過したときも、同様とする。



 たとえば、家族を殺されたなどの被害を受けたとき、その人が殺されたこと、つまり「損害」を知り、かつ、加害者が誰かを知った(これで裁判ができる)時から3年以内に裁判を起こしたり、加害者がと賠償額について話し合うなどしないと時効が成立する。つまり、3年も放っておいたらもう裁判所は助けませんよ、ということだ。

 さらに、殺人が発生してから、つまり、不法行為の時から20年たったら、その間誰が犯人かわからなくても、裁判所は助けませんよ、とも定められている。(これは除籍期間と呼ばれる)


 もっとも、特別な事情があれば、例外は認められる。

ウィキペディア「除籍期間」より引用

2004年(平成16年)4月27日最高裁第三小法廷判決、民集58巻4号1032頁 三井鉱山じん肺訴訟
民法724条後段所定の除斥期間は,不法行為により発生する損害の性質上,加害行為が終了してから相当の期間が経過した後に損害が発生する場合には,当該損害の全部又は一部が発生した時から進行する。

2004年(平成16年)10月15日最高裁第二小法廷判決、民集58巻7号1882頁 関西水俣病訴訟
水俣病による健康被害につき,患者が水俣湾周辺地域から転居した時点が加害行為の終了時であること,水俣病患者の中には潜伏期間のあるいわゆる遅発性水俣病が存在すること,遅発性水俣病の患者においては水俣病の原因となる魚介類の摂取を中止してから4年以内にその症状が客観的に現れることなど判示の事情の下では,上記転居から4年を経過した時が724条後段所定の除斥期間の起算点

2006年(平成18年)6月16日最高裁第二小法廷判決、民集60巻5号1997頁 北海道B型肝炎訴訟
 乳幼児期に受けた集団予防接種等によってB型肝炎ウイルスに感染しB型肝炎を発症したことによる損害につき、B型肝炎を発症した時が724条後段所定の除斥期間の起算点となるとされた事例



 このような特殊事情があれば、裁判官は法律を曲げてでも被害者を救済してきた。
 しかし、今回の事件は単なる殺人事件だ。不謹慎な発言だが、日本でもよくあることである。このような事例にまで時効(除籍期間)の例外を認めたとは驚きだ。


 最高裁までいくだろうか。だとしたら、最高裁はどう判断するだろうか。
 今後のこの事件の動向が気になる。




他の方の意見とそれに対するコメント


毒物混入餃子と時効殺人で賠償命令

 この方は、時効成立を認めない第二審判決に肯定的だ。なるほど。確かに、遺体を隠し続けて20年経てば賠償責任から解放される、というのは、確かにどうかと思う。心情的には私も同じ思いだ。
 しかし、除斥期間20年を定めた条文(724条)を見る限り、不法行為がバレずに20年経ったらもう時効ですよと正面から言っているように思える。
 それに、今回はたまたま被告が自分の不法行為を認めたからいいが、もし事実関係に争いがある場合、つまり、被告が「俺は殺していない」と主張した時、その主張が真実だったとして、訴えられた側はたまったもんじゃないだろう。去年の事なら自分の行為についていろいろ反論できるし、証拠もまだあるだろうけど、普通20年も昔の事なんてはっきりと覚えていないだろうし、証拠も消失する可能性が高い。こうなると、訴えた側が証拠を捏造しても、それに対する反論が困難になる。これを防ぐために、20年以上昔の事件は裁判所は扱いませんよ、という原則(除斥期間)があるのだ。その例外をこの事件に適用していいものだろうか。
 この事件については被告に責任をとってもらいたい、賠償金を払わせたいという思いと、こんなに安易に除斥期間の例外を認めると法的安定性が損なわれるのではないかという危惧。これは、どちらも説得力がある論理だ。
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