自衛隊イラク派遣を違憲とする訴訟があり、4月17日に名古屋高裁で判決が行われた。結果は原告敗訴。国側の勝利だ。しかし、傍論では「憲法9条1項に違反する活動を含んでいる」と言っている。原告は慰謝料請求が認められなくても違憲判決が出れば十分なので上告するつもりはなく、国は裁判に勝ったので上告し、最高裁の判断を仰ぐことはできない。こうして、憲法の番人たる最高裁判所の出る余地を残さないまま、下級審で出た違憲判決が一人歩きし、確定判決として残るのである。
この問題について整理する。自衛隊のイラク派遣に反対する人々が憲法違反を理由に派遣差し止めと慰謝料などを求めて裁判を起こした。訴えは第一審で退けられ、第二審でも結果は同じで、慰謝料請求などは認められなかった。しかし、第二審名古屋高裁の青山邦夫裁判長は裁判結果と関係ないにもかかわらず、判決理由に「多国籍軍の兵員を戦闘地域であるバグダッドに輸送することは武力行使と一体化した行動であり、航空自衛隊の空輸活動はイラク特措法と憲法9条に違反する」と書いた。いわゆる「傍論」「蛇足」である。
この裁判において最も重要な争点である自衛隊イラク派遣の合憲性については国の主張は認められなかった。しかし、原告には損害賠償を求めるだけの権利侵害が発生していないために、裁判の口実とされた慰謝料請求は認められず、国は勝訴した。原告にとっては、慰謝料などはどうでもよく、違憲判決さえ出れば大満足であり、上告するつもりはない。国にとっては、自衛隊派遣が違憲とされ極めて不都合な判決であるにもかかわらず、表向きには勝訴である。このため、裁判を行うために必要とされる「訴えの利益」が無いとされ、国は上告し、最高裁で争うことが許されなくなる。
このように、形式上は勝訴でも実質的には敗訴同然であり、形式上勝訴のために上訴できないという事例は他にもある。近年では、小泉首相の靖国神社参拝についての慰謝料請求で福岡地裁は靖国神社参拝に反対する原告の訴えを退けつつ、傍論で違憲とした。小泉首相は自分の行為を違憲扱いされたにもかかわらず、高裁・最高裁の判断を仰ぐことが許されず、靖国参拝違憲判決が確定した。
このような判決は、三審制度を根本から否定するものである。憲法は81条で「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」と規定している。にもかかわらず、地方裁判所や高等裁判所といった下級裁判所がその権限が無いにも関わらず、違憲判決を実質的に確定させている。これは裁判所による重大な憲法違反だ。
この問題の背景には、下級裁判所の裁判長の中に必要も無いのに自分の思いを判決に持ち込む人がいるというのもあるが、日本の裁判制度にも欠陥がある。
日本では、国家・行政による憲法・法律違反を訴えるためには自分に「訴えの利益」があることが必要とされている。だから、首相の神社参拝や自衛隊の海外派遣を訴えるためには、ただ違憲だと主張するだけでは足りず、「訴えの利益」として「慰謝料・損害賠償を払え」などの主張をしなければならない。慰謝料請求が主であり、憲法違反はその理由付けであり従である。
そして、たとえ国が違憲行為を行なったとしても、損害賠償請求に必要とされる権利侵害が原告に発生していなければ原告の訴えは退けられ、国の勝訴となる。この時にしばしば出てくるのが「国の行為は違憲」とする傍論である。裁判の本来の目的である損害賠償請求の認否には関係無いが、ついでに言っておこうというものである。このような傍論が判決文の中に記されていても、国は勝訴したため、上訴することに「訴えの利益」が無く、上訴して最高裁判所の判断を仰ぐことができない。原告にとっても、最も重要な違憲判決を獲得できたため、上訴しない。
これは二つの意味で問題である。第一の問題は、実質的に敗訴した側が上訴する権利を奪われることである。原告にとっては3回の裁判のうちどれか一つでも、それが下級裁判所であっても、傍論で違憲とされれば実質的勝訴を得られ、被告にとっては、3回連続で違憲判決を避けないと実質的敗訴となり、裁判が一方に対して不公正なものとなる。
第二の問題は、損害賠償請求が認められるだけの損害が自分に発生していないと、国の違憲性を強く問えないということである。傍論で違憲判決が出ても、それには法的拘束力が無く、国の印象を悪くするだけで終わってしまう。
それも大きいことだが、最高裁判所が憲法の番人として機能するためには、国の行為の違憲性それ自体を問えるようにしなければならない。違憲判決が損害賠償請求などあまり重要でない事項のついでに行なわれる現制度は改めるべきである。
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自衛隊イラク派遣の違憲判決は「原告の敗訴」であることを認識せよ!
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この裁判において最も重要な争点である自衛隊イラク派遣の合憲性については国の主張は認められなかった。しかし、原告には損害賠償を求めるだけの権利侵害が発生していないために、裁判の口実とされた慰謝料請求は認められず、国は勝訴した。原告にとっては、慰謝料などはどうでもよく、違憲判決さえ出れば大満足であり、上告するつもりはない。国にとっては、自衛隊派遣が違憲とされ極めて不都合な判決であるにもかかわらず、表向きには勝訴である。このため、裁判を行うために必要とされる「訴えの利益」が無いとされ、国は上告し、最高裁で争うことが許されなくなる。
このように、形式上は勝訴でも実質的には敗訴同然であり、形式上勝訴のために上訴できないという事例は他にもある。近年では、小泉首相の靖国神社参拝についての慰謝料請求で福岡地裁は靖国神社参拝に反対する原告の訴えを退けつつ、傍論で違憲とした。小泉首相は自分の行為を違憲扱いされたにもかかわらず、高裁・最高裁の判断を仰ぐことが許されず、靖国参拝違憲判決が確定した。
このような判決は、三審制度を根本から否定するものである。憲法は81条で「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」と規定している。にもかかわらず、地方裁判所や高等裁判所といった下級裁判所がその権限が無いにも関わらず、違憲判決を実質的に確定させている。これは裁判所による重大な憲法違反だ。
この問題の背景には、下級裁判所の裁判長の中に必要も無いのに自分の思いを判決に持ち込む人がいるというのもあるが、日本の裁判制度にも欠陥がある。
日本では、国家・行政による憲法・法律違反を訴えるためには自分に「訴えの利益」があることが必要とされている。だから、首相の神社参拝や自衛隊の海外派遣を訴えるためには、ただ違憲だと主張するだけでは足りず、「訴えの利益」として「慰謝料・損害賠償を払え」などの主張をしなければならない。慰謝料請求が主であり、憲法違反はその理由付けであり従である。
そして、たとえ国が違憲行為を行なったとしても、損害賠償請求に必要とされる権利侵害が原告に発生していなければ原告の訴えは退けられ、国の勝訴となる。この時にしばしば出てくるのが「国の行為は違憲」とする傍論である。裁判の本来の目的である損害賠償請求の認否には関係無いが、ついでに言っておこうというものである。このような傍論が判決文の中に記されていても、国は勝訴したため、上訴することに「訴えの利益」が無く、上訴して最高裁判所の判断を仰ぐことができない。原告にとっても、最も重要な違憲判決を獲得できたため、上訴しない。
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