4月5日に靖国神社の遊就館で映画「南京の真実」を見てきました。
この映画は「南京大虐殺」の虚構性を主張する作品だと聞いていたが、あれ?そういった内容は5分程度しかなく、ほとんど「A級戦犯」とされた人たちが巣鴨プリズンで死刑執行を待つ姿を描いた内容だった。それと、能面を付けた人たちが何を意味しているのか、そういった構成も分かりにくい。こういう映画はあまり芸術的な凝り方をせずに、「南京大虐殺論」の矛盾点をストレートに表現した方がいいと思うけどな。
三部作なので、南京についての詳しい話はこれからだろう。しかし、こういう映画は上映される場所が限られるだろうから、1回見て分かるようにしないと、言いたいことが多くの人に伝わらないと思う。
ただ、東条英機などいわゆる「A級戦犯」と呼ばれる方々の最期を描く映画としては、なかなか良かった。彼らは今まで植民地を先取りしていた欧米列強がいきなり持ち出した「戦争犯罪」には納得していないが、多くの人々を犠牲にし、大日本帝国を破滅の淵に追いやった「敗戦責任」については認めている。だから自分の死を受け入れているが、死を目の前にしてここまで達観している姿を見ると、「東京裁判」を裁判の名を借りた復讐劇と考えている私も何故か清々しい気持ちになる。
この映画は「南京大虐殺」の虚構性を主張する作品だと聞いていたが、あれ?そういった内容は5分程度しかなく、ほとんど「A級戦犯」とされた人たちが巣鴨プリズンで死刑執行を待つ姿を描いた内容だった。それと、能面を付けた人たちが何を意味しているのか、そういった構成も分かりにくい。こういう映画はあまり芸術的な凝り方をせずに、「南京大虐殺論」の矛盾点をストレートに表現した方がいいと思うけどな。
三部作なので、南京についての詳しい話はこれからだろう。しかし、こういう映画は上映される場所が限られるだろうから、1回見て分かるようにしないと、言いたいことが多くの人に伝わらないと思う。
ただ、東条英機などいわゆる「A級戦犯」と呼ばれる方々の最期を描く映画としては、なかなか良かった。彼らは今まで植民地を先取りしていた欧米列強がいきなり持ち出した「戦争犯罪」には納得していないが、多くの人々を犠牲にし、大日本帝国を破滅の淵に追いやった「敗戦責任」については認めている。だから自分の死を受け入れているが、死を目の前にしてここまで達観している姿を見ると、「東京裁判」を裁判の名を借りた復讐劇と考えている私も何故か清々しい気持ちになる。