つぶや記

京都で大学生をやっている松岡智之です。 新聞記事に突っ込んだり、読んだ本の感想なんかを徒然なるままに執筆します。

臓器移植法

脳死は人の死か? 税務署に聞いてみた

脳死は人の死か。
旬を過ぎた話題だが、去年の今頃は議論になっていたな。

そこで、確定申告書を出すついでに税務署の人に聞いてみた。

なんで税務署に聞くのかというと、ここは相続税を扱っているからだ。かなりのレアケースだとは思うが、脳死と心臓死のいずれを死亡、つまり相続の開始とするかで相続税の金額が変わることがある。簡単に言うと、死んだ人の子供(法定相続人)の数が多ければ多いほど、一人当たりの取り分が減るから、税率が低くなる。死んだ時点で子供が1人か2人かで相続税の金額は違うことがある。

質問
「相続税の計算をする時、脳死は人の死として扱うのですか。例えば、父親が脳死状態になり、その後息子が亡くなって、その後父親が臓器を摘出されるなどして心臓死になった場合、父親はいつ死んだことになるのですか?」

税務署員
「すみません、ちょっと調べてきます。」

数分後
税務署員
「医者が死亡届に書いた日ですね」


そう来たか。
じゃあ、死亡届にはいつの日付を書くのかな。機会があれば聞いてみたい。

脳死は人の死か、について 私は三兆候説支持

 今日、脳死は人の死かどうかについて友人と議論した。せっかくなので、このブログに私の考えをまとめておく。


要約)
 人の死は三兆候によって判断すべきであり、脳死状態だけでは死とすべきでない。脳死者はまだ生きているが、その人の命を奪うことは臓器移植法など法に基づいて行われる場合に許される。



 なお、心臓死と三兆候を同じものだという前提で議論されることも多いが、ここでは区別して論じる。心臓死とは、心臓が不可逆的に停止した状態とする。心臓マッサージしても蘇生しない場合だ。三兆候とは、心臓と呼吸が不可逆的に停止、瞳孔が散大している状態だ。

 これは現行法に従った考え方ではないが、私は、脳死は人の死ではなく、呼吸の不可逆的停止、心臓の不可逆的停止、瞳孔散大のいわゆる三兆候を示した状態を「死」だと考える。

 現行の臓器移植法によれば、脳死判定された者は「死体」に含むと規定されているが(第6条)、私は脳死判定されればその時点で「死」とする考えには賛成できない。その理由は、手続き的な条件で人の生死を区別することに反対だからだ。

 続きを説明する前に臓器移植法第6条を引用する。この法律は改正案が成立し、2010年7月から施行されるので、現行法と改正法の両方を引用する。


臓器移植法(現行)
第六条  医師は、死亡した者が生存中に臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当該臓器の摘出を拒まないとき又は遺族がないときは、この法律に基づき、移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)から摘出することができる。
2  前項に規定する「脳死した者の身体」とは、その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定されたものの身体をいう。
3  臓器の摘出に係る前項の判定は、当該者が第一項に規定する意思の表示に併せて前項による判定に従う意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けたその者の家族が当該判定を拒まないとき又は家族がないときに限り、行うことができる。
4  臓器の摘出に係る第二項の判定は、これを的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の医師(当該判定がなされた場合に当該脳死した者の身体から臓器を摘出し、又は当該臓器を使用した移植術を行うこととなる医師を除く。)の一般に認められている医学的知見に基づき厚生労働省令で定めるところにより行う判断の一致によって、行われるものとする。
5  前項の規定により第二項の判定を行った医師は、厚生労働省令で定めるところにより、直ちに、当該判定が的確に行われたことを証する書面を作成しなければならない。
6  臓器の摘出に係る第二項の判定に基づいて脳死した者の身体から臓器を摘出しようとする医師は、あらかじめ、当該脳死した者の身体に係る前項の書面の交付を受けなければならない。



臓器移植法(改正法、2010年7月から施行)
第六条  医師は、次の各号のいずれかに該当する場合には、移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)から摘出することができる。
 一 死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当該臓器の摘出を拒まないとき又は遺族がないとき。
 二 死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合及び当該意思がないことを表示している場合以外の場合であって、遺族が当該臓器の摘出について書面により承諾しているとき。

2  前項に規定する「脳死した者の身体」とは、脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定された者の身体をいう。

3   臓器の摘出に係る前項の判定は、次の各号のいずれかに該当する場合に限り、行うことができる。

 一 当該者が第一項第一号に規定する意思を書面により表示している場合であり、かつ、当該者が前項の判定に従う意思がないことを表示している場合以外の場合であって、その旨の告知を受けたその者の家族が当該判定を拒まないとき又は家族がないとき。

 二 当該者が第一項第一号に規定する意思を書面により表示している場合及び当該意思がないことを表示している場合以外の場合であり、かつ、当該者が前項の判定に従う意思がないことを表示している場合以外の場合であって、その者の家族が当該判定を行うことを書面により承諾しているとき。



4  臓器の摘出に係る第二項の判定は、これを的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の医師(当該判定がなされた場合に当該脳死した者の身体から臓器を摘出し、又は当該臓器を使用した移植術を行うこととなる医師を除く。)の一般に認められている医学的知見に基づき厚生労働省令で定めるところにより行う判断の一致によって、行われるものとする。

5  前項の規定により第二項の判定を行った医師は、厚生労働省令で定めるところにより、直ちに、当該判定が的確に行われたことを証する書面を作成しなければならない。

6  臓器の摘出に係る第二項の判定に基づいて脳死した者の身体から臓器を摘出しようとする医師は、あらかじめ、当該脳死した者の身体に係る前項の書面の交付を受けなければならない。



 現行法も改正法も、脳死と判定されれば「死体」と扱われる。脳死を人の死と位置づけているようだ。これに対して私は反対だ。臓器移植法で定める脳死判定には本人・家族の同意や、二人以上の医者の判断の一致などの条件がある。こういった手続きを経ないと「脳死」と判断されず、「死体」にならない。もし脳死者の家族が脳死判定に反対しているのに医者が勝手に脳死だと判定しても、この法律の要件を満たしていないので「死体」にはならないことになる。家族の意思によって脳死者の生死が分けられるのだ。私はこれに納得ができない。私は、人の生死は「心臓が停止している」「脳が停止している」など客観的な状態によって区別されるべきであり、誰かの意思によって左右されるべきではないと思う。

 従って、脳死と判定されば死、という臓器移植法の立場には反対だ。
 そうなると、残される死の基準は心臓死、脳死、三兆候になるのだが、まず、脳死を死の基準とすることに反対する理由を述べる。「まだ心臓が動いているぞ」「まだ温かいぞ」といった感覚的な主張は論理的に説明することが困難だし、私も迷うところなので、ここではその議論は持ち出さない。私が脳死を死の基準とすることに反対する理由は、事後的にあの時脳死だったかどうか調べることが極めて困難だからだ。例えば、病院で危篤状態の患者の胸をナイフで刺し、それまで動いていた心臓を停止させた人が逮捕され、殺人罪で起訴されたとする。この時被告人が「私が刺したとき彼は脳死状態だったから、私は死体を損壊したにすぎない。殺人罪は不成立だ。」と主張したら大変だ。人がナイフで刺されたり、銃で撃たれたりしたときに心臓が動いていたか否かは、警察が解剖すればだいたい分かる。しかし、脳が動いていたか否かはなかなか分からない。このように、脳死を死の基準とすると、後になってあの時生きていたか死んでいたのか分からなくなる。これにより、どうにもならない紛争が発生するだろう。それは不都合だ。だから、脳死を人の死とすることに私は反対である。
 心臓死を人の死とすることに反対なのは、心臓は止まっている、あるいは摘出されているが人工心肺によって身体が活動している人をナイフで刺したりして完全に身体の活動を止める行為を殺人として扱いたいからだ。心臓死を人の死とすると、人工心肺で生かされている人は「死体」となる。もし誰かが人工心肺装置のスイッチを切ったりしても、殺人罪にはならない。それはおかしいだろう、という理由で、人工心肺で生かされている人を法的にも生きている状態にしたい。

 こういった理由で三兆候説を私は支持する。

 なお、脳死者の臓器移植に関しては、私は賛成だ。ただし、現行法のように、「脳死者は死んでいるから移植を認める」という理屈ではない。「脳死者は生きているがもうすぐ死ぬので、本人や家族の同意があるなら他人の命を救うために臓器を摘出して死に至らしめても許される」という思考である。

 そして、臓器移植法第6条1項の「移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)から摘出することができる。」という規定を「移植術に使用されるための臓器を、死体および脳死した者の身体から摘出することができる。」に変更すれば、私の考え方と矛盾しない。
 または、「死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)」という言葉を、「脳死した者の身体」は「死体」ではないが「死体」と同様に扱う、と解釈しても、私の考え方と矛盾しない。

 この問題については異論はたくさんあるだろう。また、おそらく、私の意見はかなりの少数派だろう。偉い人は「脳死は人の死とすることに社会的合意が得られていないから、脳死を人の死とすることに反対」と言っているが、私はただの大学生なんで、まわりの意見は関係なく自分の意見を言っている。








後記

 この考え方を以前、別の友人に話したとき、以下のような反論を受けた。
 「殺人罪の保護法益は人命という重要なものであり、臓器移植目的だからといって違法性が阻却されることは許されない。脳死は人の死と考えるべきだ。」

 確かに、彼のいう事ももっともである。私は刑法第35条「法令又は正当な業務による行為は、罰しない。」で簡単に処理できると考えていたが、本人が同意しているからといって殺人を許容する理屈はちょっと考えにくいし、改正臓器移植法によれば、本人が臓器移植について意思を表示していなくても家族が同意すれば移植できるとされている。そうしないと、意思能力の無い乳幼児の移植ができないのだ。

 ここはどう考えるべきか。まだ生きているが数日以内に死ぬことがほぼ確実なので一般人に比べて生命の保護法益が軽く、法律に基づいた臓器摘出なら殺人罪が成立しないと考えるか。難しい問題だ。

 私は、殺人を正当化する問題よりも、生死の区別を人の意思によって操作できることの問題が大きいと考えているので、やはり三兆候説をとる。

臓器移植法改正

臓器移植法改正A案が衆議院を通過しました。

最近、ニュースをあまり見てなくて、今回の改正の流れはあまり知らなかったから、今更ながら少し調べてみました。話題の法律なのに、実は私は一度も条文を読んだことがありません。

それで、条文を読んで気づいたのだが、現行の臓器移植法にはドナーを15歳以上に限定する規定は無いんだな。移植の要件は「死亡した者が生存中に臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当該臓器の摘出を拒まないとき又は遺族がない」(臓器移植法第6条1項)となっている。この法律に年齢制限は無い。ただし、どのくらいの年齢から意思表示が有効か、という問題があり、厚生省のガイドラインでは15歳以上とされた。


A案が衆議院で可決されたが、これに対しては「脳死を一律に人の死としてよいのか」「脳死の子に1年以上付き添っていたが、私は死体に付き添っていたのか」という批判がある。法的に意味のある議論とは思えないが、気持ちは分からなくもないな。

ところで、これは次のような理解でいいのかな。

現行法では
(臓器の摘出)
第六条  医師は、死亡した者が生存中に臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当該臓器の摘出を拒まないとき又は遺族がないときは、この法律に基づき、移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)から摘出することができる。
2  前項に規定する「脳死した者の身体」とは、その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定されたものの身体をいう。

となっている。

A案は以下の通りだ。

第六条第一項を次のように改める。

  医師は、次の各号のいずれかに該当する場合には、移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死した者の身体を含む。以下同じ。)から摘出することができる。

 一 死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合であって、その旨の告知を受けた遺族が当該臓器の摘出を拒まないとき又は遺族がないとき。

 二 死亡した者が生存中に当該臓器を移植術に使用されるために提供する意思を書面により表示している場合及び当該意思がないことを表示している場合以外の場合であって、遺族が当該臓器の摘出について書面により承諾しているとき。

 第六条第二項中「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」を削り、「もの」を「者」に改め、同条第三項を次のように改める。


現行法では脳死状態でかつ遺族の移植に対する承諾があり、移植する予定のあるドナーのみが「死体」とされるのに対し、A案では「脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定された者の身体」=「脳死した者の身体」=「死体」となる。これを指して「脳死を一律に人の死にしている」ということなのだろうか。


そうだとしたら、「第六条第二項中「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」を削」る改正には一体何の意味があるのかな。削ったところで何かができるようになったり、あるいは、何かができなくなったりするとは読み取れないが。
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